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(情報掲載日:2018年8月9日)


今年は明治維新から150年目にあたり、西郷隆盛ほか維新の志士に関する話がメディアでもよく取り上げられています。当時と同じように、時代の大きな節目を迎えていると言われている今、私たちが明治維新から学べることは少なくありません。明治維新で起こった出来事や志士たちについて、改めて考えてみませんか。

●どんな背景で起こったのか

明治維新とは、「ペリーの黒船来航」を大きなきっかけに徳川幕府に対する不満が一気に強まり、幕府の終焉と同時に明治新政府が誕生し近代国家の基礎固めが始まったという一連の動きを一般的に指します。「維新」という言葉は、「維(これ=意味を強める発語)、新たなり」を意味しています。

明治維新の機運はすでに、ペリーの黒船来航の前から高まりつつありました。徳川幕府の力は、全国的な凶作と飢饉、財政改革の失敗によって、衰退の一途をたどっていたのです。いっぽう、藩政に成功して力をつけた藩が現れます。人々の間には、鎖国によって海外との交流は断たれていたものの、長崎の出島から海外の学問・人・モノが伝わり、異国に対する肯定的な空気が流れ始めていました。

世界的には、欧州諸国がアメリカ大陸・アフリカ・アジアの国々を次々に侵略し植民地拡大を競っていた時代です。隣国である清がイギリスに敗北し、香港が植民地化され賠償金を支払うというアヘン戦争も起こりました。アジアの大国が陥った事態は、日本にも大きな脅威になると受け止められます。もはや鎖国の維持は難しく、欧州諸国の強力な軍事力で開国を強いられ植民地にされてしまうのではないか。そんな危機感も明治維新の原動力となりました。


●何が起こったのか

ペリーが神奈川県の浦賀に黒船で来航し開国を迫ったのは1853年ですが、翌年には「日米和親条約」、その4年後には「日米修好通商条約」を幕府は締結します。条約の内容が日本にとって不平等なもので、後者は天皇の許可なしに幕府が進めたこともあり、反発する声が上がりました。この声を弾圧すべく「安政の大獄」が行われ、さらにその反動として1860年に「桜田門外の変」で井伊大老が暗殺され、世の中は混沌としていきます。

1863年に薩摩藩は薩英戦争、翌年に長州藩は下関戦争で、欧州諸国と戦って両藩は力の差を思い知ることとなります。今の幕府のままでは欧米に太刀打ちできないという共通した危機感を背景に、1866年、坂本龍馬(※1)の仲立ちによって薩長同盟が結ばれました。この2つの藩を中心とした幕府に反発する倒幕側と、それを征伐しようとする幕府側との間での戦いが広がりますが、1867年に将軍・慶喜が政権を朝廷に返上するという「大政奉還」により幕引きされます。
ところが、幕臣たちが新政府に反抗して「戊辰戦争」が起こり、新政府軍は江戸総攻撃の準備を進めます。その寸前に、幕臣の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛との間で、幕府が新政府に江戸城を明け渡すなど「江戸城無血開城」を降伏条件とする交渉がまとまり、江戸の町は戦火を逃れることができました。なおも幕臣の一部は各地で戦闘を続けましたが、1869年の箱館(現在の函館)における「五稜郭の戦い」で終息します。
新政権の政治方針が「五箇条の御誓文」で示され、年号は明治に改められて新しい時代が始まりました。天皇は、東の京を意味する東京城と改められた江戸城へ京都御所から移り、江戸も東京に改称されます。

※1:「坂本龍馬から学ぶ〜よりよく生きる6つのヒント」
https://www.tempstaff.co.jp/magazine/ningenryoku/vol46.html

●世界から貪欲に学ぶ

歴史の流れの中で明治維新は、平清盛や源頼朝が活躍した平安時代後期以来700年以上続いた武家政権の社会から、身分や石高に関係なく民衆の力を活かす社会への大きな革命、と位置付けることができます。同時に、政治、経済、医療、科学など各分野で近代国家へと歩む大きな契機になりました。その歩みには、確かなビジョンとアクションがありました。

大きなビジョンとして描かれたのは国力のある国家で、スローガンは富国強兵・殖産興業でした。富国強兵とは、開国により海外から近代的な制度や技術を積極的に取り入れて欧米と対等に付き合える実力をつけること、殖産興業とは、新たな産業を興して生産力を高めることを意味します。このスローガンのもと、アクションとして産業が育成されていきました。
なかでも、外国人技師の指導による初の官営模範製糸場・富岡製糸場は世界文化遺産に登録されたことでも知られています。ここを起点に各地へと技術が伝授され、生糸は当時の主な輸出品にまで成長していきました。
政府は、海外の社会や産業の視察を目的に約10か国を周る岩倉使節団も派遣しました。政府の要人のほか、渡航した約100名の中にはのちに津田塾大学を開いた津田梅子もいます。
新政府での出仕経験を持つ渋沢栄一は、約500の会社設立、約600の教育機関や社会事業の支援に携わりました。銀行、保険、鉄道、食品、宿泊、通信、医療など多様な事業を推進し「近代日本経済の父」とも呼ばれています。

●過去から切り替える

近代国家に向け、社会制度も改変されていきます。藩をなくし県を定めた「廃藩置県」、藩の領地・領民を天皇に返還する「版籍奉還」、収穫高ではなく地価に対して租税し私有財産を認める「地租改正」のほか、武士の特権を廃止する「廃刀令」も公布されました。武士だけでなく士農工商の身分制度も廃止、農民や町人も名字を名乗ることが許されます。

平等な教育に向けた近代的学校制度の整備も進みます。地域格差のない一般民衆も受けられる義務教育が必要だと考えられ、全国に学区が作られました。尋常小学校・高等小学校・大学が新設され、誰でも高度な教育が受けられる仕組みです。伊藤博文らによって女子教育奨励会も設置されました。

近代文明が取り入れられ、市中の景観も変化していきました。産業革命の要である蒸気を使った蒸気機関車や蒸気船が運行し、活版印刷が導入されて新聞や雑誌の普及が進みます。燭台に変わりランプ灯が街を照らし、牛鍋などの肉食も広まります。「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」と言われたように、髷を結わずに散髪した洋装姿も増えていきました。

●西郷隆盛・高杉晋作の言動

この時期に活躍した特に有名な人物を、倒幕側、幕臣側から2名ずつご紹介します。

「西郷隆盛」は、島流しに遭いながらも薩摩藩のために尽くした人物です。内戦の無意味さを説くため決死の覚悟で直談判に乗り込み長州藩の反乱を抑えたり、坂本龍馬の話に心を動かされ薩長同盟を締結しました。維新運動の論功行賞は、上に立つ者は戦死した兵を哀れみ身を慎むべきと考えて辞退します。征韓論には、軍隊を出して交渉するのではなく大使を派遣して礼節をわきまえて朝鮮と接すべきと反対したことで知られています。常に相手の立場を考え、公平な目で最善は何かを見極めて行動を選び、活躍してきたのです。 西郷隆盛が好んで使った言葉が「敬天愛人」です。「天はあらゆる人を同一に愛する。我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」という意味で、分け隔てなく人と接してきたことが伝わります。

「高杉晋作」は、身分に関係なく志願兵による奇兵隊を創設した人物です。親に反対されながらも松下村塾で学び吉田松陰(※2)の愛弟子といわれるまでになり、下関戦争で長州藩が敗北した後の交渉では欧州国の植民地化を防ぎ、手腕を発揮しました。この体験から伝統的戦術によらない奇兵隊を編成し中国思想書を使った教育も行い、秀でた者は出世させました。奇兵隊に共鳴した協力の輪が広がり、軍事的に追い詰められた際も徐々に勢いを取り戻していきます。厳しい状況でも信念を貫き通して活躍してきたのです。
「人間、窮地に陥るのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし、困った、と言った途端、人間は知恵も分別も失ってしまう」といった高杉晋作の言葉があります。どんな時でも諦めずに道を切り開いてきたことがわかります。

●勝海舟、福沢諭吉の言動

「勝海舟」は、幕府の役人でありながら倒幕に対しても理解があった人物です。幕府の利益や自分の置かれた立場にこだわらず、世界情勢や未来を眺めて日本の行く末を考え、時代の流れを読み取っていきました。その思想は坂本龍馬や西郷隆盛にも影響を与えます。朱子学全盛の時代に反対されながらも当時の世界最先端の学問とされた蘭学を学び、のちには国防に役立てます。徳川幕府と明治政府の両方の高官職に就いたため批判も浴びましたが、そんな中でも国のために働き続けました。知識を力にバランス感覚を持って活躍してきたのです。
勝海舟は「自分の価値は自分で決めること。つらく貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしてはいけない」といった言葉を残しています。周りの評価に左右されることを良しとせず、自信を持つ大切さが示されています。

「福沢諭吉」は、洋学に基づいて近代化を推進した人物です。遣欧使節の通訳として渡欧した際に、銀行、郵便、保険制度、議会制度など社会の違いに衝撃を受け、帰国後に海外で得た知識を伝えるための本を作りました。その後も、食事のマナーや所作に関する実用的な情報を出版します。新聞紙上では西洋思想の啓蒙活動も行いました。慶応義塾大学を創設したことで知られていますが、政府に協力して近代学校制度の制定に携わったり、一橋大学や早稲田大学などの創立にも関わっています。封建・専制的な時代を一新したいという一心で活躍してきたのです。
当時のベストセラーになった福沢諭吉の著書「学問のすすめ」に、「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり」と書かれています。知識を求める姿勢の重要性を指す言葉です。

技術革新、地方創生、グローバル化など、情勢が大きく変化しつつある昨今は「第2の明治維新」とも言われています。変化にどう対応し乗り越えていくかを考える時、明治維新の時代を生きた先人たちの考えや行動は、励ましやヒントになります。明治維新を見つめ直してみてはいかがでしょうか。


※2:「吉田松陰の教えをひも解く」
https://www.tempstaff.co.jp/magazine/ningenryoku/vol37.html

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