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(情報掲載日:2015年2月10日)

いまを勝ち抜く人間力

吉田松陰の教えをひも解く

VOL.37

今年のNHK大河ドラマの主役は吉田松陰の妹です。これを機に、「吉田松陰」があらためて注目されています。彼は、わずか30歳で夭逝し、かの「松下村塾」で教えた期間は約2年に過ぎませんが、今なお多くの人々に影響を与え続けています。「吉田松陰」には私たちにとってもためになるたくさんのヒントが潜んでいるのではないでしょうか。そこで、吉田松陰のプロファイルから言葉までをご紹介します。

吉田松陰の人物像と影響を受けた偉人たち

●吉田松陰とはどんな人物なのか

吉田松陰は、長州藩(現在の山口県萩市)の下級武士の家に生まれました。武士でありながら身分が低いため一家は農業中心の生活で、子どもの頃から農作業をしながら「四書五経」(儒教の重要な書物9冊)等を素読し、叔父の開いた「松下村塾」で学問を修めます。のちにその才能が藩から認められ、遊学に出るようになりました。
全国各地を回り見聞を広めるにつれ、松陰の中に、西洋の進んだ学問を学びたいという意識が芽生えます。思いが募ってアメリカへの密航を試みたものの失敗し、投獄の身となりました。
ところがその獄中で、彼は孟子などの講義を始めたのです。一方的に教えるのではなく双方向のやりとりを重んじたため、書道や俳句など、お互いの得意分野を皆が教え合い切磋琢磨する雰囲気が生まれ、ついには獄の番人までもが講義に参加するようになりました。
出獄後は「松下村塾」の主宰者となり、教鞭をとることになります。身分の隔てなく塾生を迎え入れたこともあり、塾にはたくさんの若者が集い、この時、幕末維新の激動期に活躍するリーダー的人材が数多く誕生したのです。本人自身が歴史に名を残す人物であっただけでなく、多くの優れた人材たちをも育成したところが、「憂国忠君の志士」であり「革命家」であり「教育者」であると評される松陰の、最大の特徴だと言えます。
その後、松陰は日米修好通商条約の批判等により再び投獄されます。いわゆる「安政の大獄」の最後の刑死者となり、短い命を終えることとなりました(東京の日本橋小伝馬町に「吉田松陰終焉之地」の記念碑あり)。


●松下村塾から輩出された歴史上の人物たち

では、松下村塾からは具体的にどれほどの人物が育っていったのでしょう。残念ながら塾生名簿は残っていませんが、塾からは総理大臣2名、国務大臣7名、大学創設者2名が輩出されました。彼の影響力を垣間見ることができる数字ではないでしょうか。
総理大臣の2名は、伊藤博文と山県有朋です。伊藤博文は、昔の千円札に肖像画が印刷されていたことでも知られる初代内閣総理大臣で、農家の生まれという境遇から登り詰めた人物です。山形有朋も低い身分の出身で、ヨーロッパの兵制を視察して陸軍を創設した人物です。大学創設者2名というのは、品川弥二郎(現在の獨協大学)、山田顕義(現在の日本大学)です。
他に、教科書に名前が登場する人物としては、高杉晋作(奇兵隊を作った長州藩の尊王攘夷の志士)、木戸孝允(西郷隆盛・大久保利通と並ぶ「維新の三傑」)が挙げられます。また、久坂玄瑞は、高杉晋作と並んで松陰が認めた天才で、尊王攘夷運動を牽引したことで知られている藩士であり、松陰の妹の夫でもあります。


●吉田松陰を尊敬する現代の各界著名人たち

現代においても、尊敬する人物として松陰の名を挙げる著名人は少なくありません。伝記や歴史物語としてだけでなく、松陰の言葉や行動を軸に解説されたビジネス系や哲学思想系の書籍の多さからもこのことはうかがえ、関連書籍はじつに1000冊以上にのぼっています。
政治家で真っ先に挙げられるのは、安倍晋三現首相、小泉純一郎元首相です。安倍首相は記者会見でも松陰の言葉を引用して話題にのぼりました(「志定まれば、気盛んなり」=目標が決まれば、意気も高まり、実現に向け全力を尽くすことができる)。
経済界においては、業界大手の重鎮や若手起業家など、著名なリーダーたちが松陰に言及しています。なかには、松陰の教えに倣って企業理念をつくったトップもいるほどです。
その他、多くの与野党含めた議員、経営者や経営コンサルタント、学者、教育関係者たちが、尊敬する人物として松陰の名前を挙げています。

「励まされたい」場合に効く吉田松陰の言葉

●勇気や力の湧いてくるような名言録

このように、歴史上の偉人たちや現代の著名人たちに多大な影響を与えてきた松陰の言葉の中で、明日からの生き方や働き方がより前向きになるようなものをご紹介します。

自分の能力や仕事に対してどこか自信が持てずにいるような場合

「人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない」

「どんな人間でも一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にする上で最も大事なことだ」

もしかすると、自分の中の純金に気付いていないだけではありませんか?せっかく持っている純金をないがしろにしているだけではありませんか?周囲ばかりを見過ぎていては、「ないものねだり」に陥り、身近にある大切なものを見過ごしてしまいます。自分が優れた宝物を持っていること、それがもっと磨き上げられるものであることを忘れてはならない、と松陰は示唆しています。
これは、部下に対しても同様です。本人の素晴らしい能力を大切にするように心掛け働きかけることが、成長を促すと考えられます。

すべきことは分かっているものの、思い切って前に進めずに迷っているような場合

「決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい」

「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない」

実現性の高さ低さや、取り組み始める年齢の早さ遅さといったことを、あれこれ気にする必要はないのだ、と松陰は背中を押してくれています。やりたいこと、やるべきことがあるのであれば、迷わずにとにかく始めてみれば、今までと違う視界やステージが広がっていくのではないでしょうか。それは自分自身の成長にも繋がっていくのです。


●逆境を乗り越えた吉田松陰の逸話

「だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである」

「奪うことができないものは志である。滅びないのはその働きである」

これらは、外野がとやかく言う声は杞憂に過ぎないこと、信念を曲げてはならないことを意味しています。松陰自らもそれを実践していたエピソードがあります。
牢獄生活を強いられていた時のこと、松陰の母親は着替えや食べ物の差し入れを頻繁に続けました。その際、必需品だけでなく、本、紙、筆記用具までも届けたそうです。ここで松陰は、逆境とは励んで道を得るためのよい境遇である、と考えました。獄中3年程の間に1500冊以上もの本を読み、さらに同じように投獄の身となった人たちと一緒に教え合い学びを深めていきました。獄中はいつしか活気ある学びの場に変わっていったのです。
どんな厳しい状況下に置かれたとしてもそれは一時的なもので、志を持ち続けていれば、その時期は乗り越えられることを、松陰は獄中での行動で示しています。決して自分の道が閉ざされることはないのです。
また、このエピソードは、いつでもどこにいても、自分を大切に思い心に掛けてくれる人や共鳴してくれる人が必ずいて、見えない力を与えてくれたり支えてくれることを表しています。その最たるは親だと言えますが、松陰は親への思いを辞世の句の一つとして詠んでいます。

「親思ふ 心にまさる 親心 けふの音づれ 何ときくらん」(子が親を思う心以上に、親が子を思う心は深い。自分の死罪を知ったらどんなに悲しむことだろう)

いつの時代であっても離れていたとしても、親が子を思う気持ちはとても強く、常に陽に陰に応援してくれているものであることは、忘れずにいたいものです。

「叱咤激励されたい」場合に効く吉田松陰の言葉

●気付きや内省の得られるような名言録

易きに流れがちになっていたり、ぬるま湯に浸かりきっていると感じる毎日に対して、やんわり「喝」が入り、背筋の伸びる思いにさせられるようなものをご紹介します。

そろそろ気合いを入れ直さなければならないと感じていたり、突破口を見出したいと考えている場合

「成し難きものは事なり、失い易きものは機なり。機来たり事を開きて成すは能わず、坐して之を失うものは人の罪なり」

やり遂げることが難しいからといって、停滞していて前に進めなくなった状況に甘んじていてはチャンスを棒に振ってしまうだけだ、という意味です。困難だと分かっていてもなお果敢に挑むしかない、それこそがチャンスを呼び込むのだ、と換言できます。
特に景気のよくない時代には、成功よりも失敗を避ける道をどうしても選びがちになってしまうものです。しかし、それではいつまで経っても進歩はなく、自分らしさが埋もれて発揮することはできません。気付いた時には、次のような事態をも招きかねないと言えます。

「(一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、)一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う」

何もしないでやり過ごすことは現状維持ではなく、マイナスに作用してしまう危うさを孕んでいる、と松陰は警鐘を鳴らしています。
これらの言葉は、陽明学(儒教の一派)の教えでもある「知行合一」(知識は行動を伴わなければならない)と一致しており、松陰が重んじていた考え方です。以下の言葉にもそれが込められていることが分かります。

「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」(誠意を尽くして行動すれば、達成できないことはない)

頭で考えることも大事ですが、それがどれだけ立派なものであったとしても、実践、実行しなくては全く何の意味もなさない、何もできていないことに等しい、という指摘です。
失敗を恐れずに一歩を踏み出せるか否か、勇気を振り絞ってみたことがありますか。待っているだけでは、成功など望めません。松陰は次のようにも語っています。

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。(故に、夢なき者に成功なし)」


●ペリーも認めた吉田松陰の逸話

鎖国の日本に開国を迫ったアメリカのペリー率いる艦隊に乗り込んで、松陰は密航を懇願しました。当時のことは、ペリーの航海記に次のように綴られています。〈自国の決まりを犯してまで、知識を得るために命をかけて日本人が船に乗り込んできた。この日本人の知識欲の高さの何と興味深いことだろう。日本人のこの特質からは、この国の将来に夢に満ちた広野や希望に満ちた期待が開けていることが感じられる〉。漢文を見事に書く教養と、礼儀正しく立派な態度にも非常に驚かされたとも伝えられています。
しかし、アメリカとしては外交上拒否せざるを得ず、松陰を幕府に引き渡すしかありませんでした。けれどもこの時、アメリカ側は幕府に寛大な処分で収めるよう申し入れたのです。それは、学問に対する並々ならぬ情熱に突き動かされたからです。
壁が険しくハードルが高くとも、環境や周囲のせいにしているだけでは物事は何も解決されません。この松陰の行動は、そんな時でも尻込みせずに、態度や言葉で自分の熱意をきちんと示せば、相手の心に訴えかけることができる。そして、さらには現状を何かしら打破できる、という可能性の存在と、それに賭ける強い気持ちを持つべきであることを私たちに教えてくれています。

「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない(武士は、才能ではなく人間力や品性を、学問ではなく行動力を重んじるべきである)」

という考えが体現され、異国人であるペリーたちにも確かに伝わり、称賛されたのです。

政治や経済に不安要素が多い昨今、確かな未来が描きづらいと感じているビジネスパーソンは少なくありません。そんな折、吉田松陰の生き方や考え方は、少しでも何かのよりどころやきっかけになるはずです。

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