まなびカンパネラ はたらくと私
人生の舵を自分で切り続けるということ
“はたらくと私”は、派遣ではたらく方々のキャリアや人生にフォーカスしたインタビュー企画です。
派遣を活かしてはたらく仲間がどんな道を歩んできたのか、一人ひとりのリアルなストーリーをたどりながら“派遣”というはたらき方をお届けします。
お話を聞いた方:宮崎さん(70代)
海外で美容師として20数年の経験を経たのち、現在は関東で公共事業の事務職としてお仕事をされています。
安定を手放して選んだ道~美容師~という生き方
ー新卒で美容師になった方のお話はよく伺うのですが宮崎さんは新卒で商社へ入社されたのちに美容師にキャリアチェンジされたのですね。きっかけは何だったのでしょうか
きっかけは新卒で入った会社の同僚に誘われたメイクアップ教室でのメイクレッスンに参加したことでした。当時はオイルショックの影響で就職難だったんです。私は希望する会社への入社が叶って充実した日々を過ごしていました。メイクレッスンを受けた直後はメイク方法を教えてもらって楽しかったという記憶だけでしたが半年ほど経った頃、ふと“メイクアップスタイリストは男も女もない、頑張った分だけ自分に返ってくる職業なんですよ”と言われた言葉を思い出し、頭から離れなくなったんです。自分の気持ちを親にも話して理解を得られたので商社を退職し美容学校に入学をしました。美容師免許取得後はトータルで20年以上の経験を積み、海外でも長くはたらきました。
ーご結婚後はコートジボワールに住むことになったそうですがそこでの生活はいかがでしたか
一言で言えば最初はとにかく“つらかった”ですね。美容師を辞めて覚悟を決めて行ったつもりでしたが、それまで美容師として誇りを持ってはたらいていたのに、環境も文化も違う異国の地に行った途端、自分の役割が何もなくなってしまったんです。毎日何もせずにぼーっと過ぎていく感じがして、“残りの人生がこのままだったらどうしよう”と途方に暮れていました。
そんな時、直前まで住んでいたイギリスから届いた荷物の中に、美容師時代に使っていた道具を見つけたんです。それを見た時に心の奥からふつふつと湧き上がる思いがあり「やっぱり私は美容師の仕事がしたいな!もう一度はじめようかな」と思ったんです。
ーつらい時期もあったんですね。仕事を再開すると決意してどうやって仕事を見つけたんでしょうか
まずはその地域の電話帳を一つひとつ確認して美容商材店を探しました。日本でも馴染みのブランド製品を見つけ、現地サロンのサービスや価格帯も調べました。フランス人が経営するサロンの料金はこれまで私が提供していたものと大きく変わらないことが分かって「これはできる」と一気にやる気が湧いたのを覚えています。
その後たまたま知り合った外交官夫人の紹介でファッションショーのメイクアップを頼まれたんです。私のメイクを喜んでくださった方に「何の仕事をしているの?」と聞かれたので「私はフリーランスの美容師です」と答えたところ「またあなたに頼みたいわ」と言ってくださり少しずつ口コミで広がり仕事が続いていきました。
ー出会った方一人ひとりと信頼関係を作ってこられたのですね
そうだと思います。私が仕事を得られたのは英語が喋れたからではなく、ロンドンで積み重ねてきた美容師としての現場経験が役立ったのだと思います。色々な国の方の髪質を勉強しましたし、お客様の要望を聞くだけではなく髪質に合わせた提案をしてきました。もちろんたくさん失敗することもありましたが誠心誠意向き合っていると必ずお客様は戻ってきてくださったんです。
紛争による帰国、そして50歳目前での転職
ー充実した生活のようですがどのような経緯で日本に帰国されたんでしょうか
コートジボワールには約16年住んでいたのですが、紛争による国外退避勧告で49歳のころ帰国することになりました。夫は勤務先の駐在員の避難により職場を任されることになり、学校閉鎖になって行き場のない子どもたちと私はひとまず帰国することになりました。
長くても2年で戻ってくると約束して家族でハグし合って別れたまま、紛争は止まず子ども達の受験の時期が迫りそのまま20年が経ちました。
ーそれぞれの場所でそれぞれが守るものを守って生活してきたってことなんでしょうか
そうですね。もちろんその間にお互い行き来もしているし、今は国際電話をしなくても無料通話アプリもあるから便利ですね。でもまさか50歳目前で20数年の美容師キャリアから転職するなんて想像もしていませんでしたね。美容師の仕事を探しましたが、年齢を伝えた途端に電話を切られることもありました。日本に転校してきたばかりの小6の息子は毎日私の母に日本語の宿題を見てもらっていたのですが、「週末は一緒にいてほしい」と言うので、はたらき方を変えて事務職への再転職を決意しました。でも事務の仕事を探した際にも、年齢を伝えた途端に電話を切られることもありましたよ。それでも必死に求人情報を探しては応募をし面接を受け、ご縁があった会社では、できることは何でもやりました。時には深夜まではたらくハードな時期もありましたが、気づけば役職は上がっていき、定年後再雇用で5年近くはたらきましたね。
―日本と海外で様々な経験をされましたが、もし若い頃の宮崎さんに声をかけるなら何と声を掛けますか
「頑張ったら何とかなるよ!」かな。でもその当時はそんな余裕なんてなかったです。つらかったし怖さもありました。お金のこと、子供の教育のこと、自身の健康のことなど不安もたくさんありました。過ぎた今だからこそ「何とかなったな」と思えるんです。だからこそ周りの人に安易には言えない言葉でもありますね。
ー何とかするために必死に見えない努力を重ねてこられたからこそ絞り出して言える言葉なんでしょうね
そうなんです。幸運にも順風満帆に好きな仕事をして子どもを授かり平和で幸せだなと思っていたところにクーデターに巻き込まれるなんて誰も想像しませんよね!なので当時はただ毎日目の前のことに必死でしたね。
派遣という新しいフィールドでの出会い
ーその後どんなきっかけで派遣の仕事を始めたんでしょうか
退職後に職業訓練を受けハローワークで得た仕事を通じて派遣というはたらき方を知ったんです。最初は派遣ではたらくことに興味がなかったんですが、はたらいてみたら仕事も人も楽しい出会いがあり良い経験になりました。
いくつか期間限定のお仕事をしたのですが、ある時そこにテンプスタッフの派遣スタッフの方がいらしゃったんです。「次どうしようかな」なんて話している中でご縁があって今の就業先につながりました。
今の就業先はこれまで経験してきた民間企業ではありませんが、マイノリティの方たちにも光を当てて取り組む仕事の姿勢、“誰一人取り残さない”って言うんでしょうか、その姿勢が素晴らしいと感じます。
私もこれから社会貢献できたらいいなと思っていたのでそういう方々の仕事に微力ながらも関われることがとても嬉しいです。もちろん知らないこともたくさんあるので日々調べながら情報収集をして、分からないことは教えていただきながら仕事をしています。
ー就業先で英会話レッスンをされたともお聞きしたのですが
留学経験がある職員の方の要望から英語対応チームを結成することになり、就業先の上長に勉強会を提案したところ許可がおりました。問い合わせ対応をロールプレイで練習した後すぐに外国の方から問い合わせがあり、「前もって練習していたことが役立った」と言われて嬉しかったですし、私自身も他の業務で教えてもらうことがあるのでギブアンドテイクです。
ーこれから先の展望ややってみたいことはありますか
今は新しいチームでの仕事が始まり覚えることが多いのですが、20代の若手職員の方たちと切磋琢磨して仕事ができています。本当にいいメンバーに恵まれており、チームワークもいいので遅れをとらないようについていこうと必死に奮闘中です。あと最近は生成AIを使うことも増えてきて、自分の素朴な疑問を質問して友達感覚で楽しむことも息抜きになっています。
それから、健康寿命を延ばしたいので週末はウォーキングをしたり料理をすることも楽しんでいます。
編集後記
今回の取材で印象的だったのは、50歳目前での帰国後に直面した“転職”という予想外の転機です。困難な状況の中でも“分からないことは自ら情報を取りに行く”という主体的な姿勢と、支えてくれた人へ自分なりにできることでお返しをしようとする誠実さが強く心に残りました。さらに、ご自身の強みを理解し、それを新たな環境で活かし続けている点も非常に印象的でした。
仕事に取り組む姿勢だけでなく愛情を持って人に接していらっしゃる姿は同じ女性として尊敬する気持ちを持つと同時に、私も年齢を重ねることが楽しみになりました。宮崎さんは「はたらいて、笑おう。」を体現している派遣スタッフに贈られるスタッフAwardを受賞されています。
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