わたしの生きる道

第85話 大好きな母が亡くなった

1993年10月5日、母タツが胃がんのため亡くなった。享年92。

1年前から自宅近くの病院に入院していた母を、毎週土曜日に見舞った。外の空気を吸わせたくて車いすで病院の庭に出たが、母はつらそうだった。それからずっとベッドに横たわっていた。己拔兄から「おふくろが危ない」という電話をもらって、取るものも取りあえず駅に急いだ。車だと赤信号のたびに止まる。まっすぐ病院に行きたくて飛び乗った電車の中で、人目もはばからず子どものように泣き続けた。

会社を興したとき母がお金を貸してくれたおかげで資金繰りを乗り切れた。それからDMの宛名書きを手伝ってくれた。老いとともに書き間違いが増えて、たくさんのDMが戻ってくるようになったけれど私はうれしかった。母が大好きだった。己拔兄夫婦、私、妹の敏子の4人が見守る中、母は苦しげな息をして眠っている。兄が「3人でお昼を済ましてこいよ」というので、出かけて戻ってくると、母は息を引き取っていた。まだ温かい亡がらにすがって声をあげた。一緒に暮らそうとマンションの1室を買っていたのに、それもいまはむなしい。

(日本経済新聞朝刊2013年6月30日掲載の『私の履歴書』より引用)