わたしの生きる道

第63話 組織もやり方も 限界が来ていた

1990年2月22日、「大事な話がある」というので会議室に行くと、水田さん以下5人の男性社員が並んでいる。水田さんが5人連名の「平成2年度の経営方針のための意見書」を読み始めた。

「1、人材派遣業のトップ企業になるための経営方針および目標を明確にしてください。特に、営業、財務、人事、システム、CI、組織の戦略を各論ベースで明確にしてください」

「2、計数管理を確立し、各部門、各拠点ごとに責任の所在を明確にし、経営方針の実行を確実なものにしてください」

「3、実力主義に徹し、客観的にみた成果に対する正当な評価をしてください」

連判状とも言える文書の末尾には「有言実行をしていただけない場合、それなりの覚悟があることを追記させていただきます」とある。

私は社員と同じフロアで同じような仕事をしてきた。みんなで一緒の空気を吸い、目線も一致していたから戦略や方針はなくてもよかった。そして本社と支店しかない組織は柔らかく、コンパクトでコストもかからなかった。

支店長に対しては「任せる、褒める」の方針で、特段の指示も出さず自分で考えさせてきたけれど、社員が100人、売上高も100億円になるとそれではいけないに違いない。組織にもやり方にも限界がきているようだ。

私は居並ぶ5人の男性に向かって「わかりました」と答えた。

(日本経済新聞朝刊2013年6月22日掲載の『私の履歴書』より引用)