わたしの生きる道

第50話 外国では認められているこの仕事が なぜ日本ではだめなのだろう

1975年度の売上高は1億3800万円。翌年度は3億3900万円。我ながら驚くほどの急成長だった。そして創業から6年目を迎えた78年、手狭になった六本木の事務所を引き払い乃木坂に本社を移転した。

白を基調にしたきれいな事務所で、以前の2.5倍の広さがあった。真ん中の大きなデスクを私と5人の社員が取り囲む。目の前に6台の電話を並べた。

本社移転の翌年1月、イラン革命をきっかけに第2次オイル・ショックが世界を襲った。73年の第1次オイル・ショックほどの騒ぎにはならなかったものの、日本の企業は減量経営という形で防衛に努めた。採用を控えて人件費を圧縮し、足りない人材は外部に求めるようになった結果、私たちのような会社に対する需要が急増した。

会社を始めたころから、職業安定所の担当者に何度も呼び出された。「どんな仕事をしているのですか」という質問はいい方で「職業安定法違反ではないか」と厳しく問い詰められることもある。

でも外国ではこの仕事が認められているのに、なぜ日本ではだめなのだろう。それに私たちは職安法が想定していなかった新たな労働市場を担っているからこそ、顧客企業とスタッフの両方から感謝されているのではないか。

(日本経済新聞朝刊2013年6月18日掲載の『私の履歴書』より引用)