わたしの生きる道
第44話 外資系企業に 飛び込み営業
私が始めた会社は「即戦力がほしい」という外資の需要と「技能を生かせる仕事がしたい」という日本人女性の潜在需要を結びつけた。
後で知ったことだが、私がテンプスタッフを設立したころ同業社がすでに3社あった。私の会社は4社目だから「先見の明」とはほど遠い。それでも私は遅ればせながら「時代」という流れに小舟をこぎ出していた。
といっても黙っていて仕事が来るわけではない。まして会社は無名に近い。大学生の姪(めい)とその友人にDMの宛名書き、電話番を頼み、私は手づくりのチラシを持って外資系企業を中心に飛び込み営業を続けた。
私は経理帳簿などつけたことがない。支払伝票や請求書のたぐいは税理士の高山弘子さんに丸投げし、経理以外のことでもわからないことがあると高山さんに電話した。あまり電話が多いから、高山事務所で私は「電話魔」と呼ばれたらしい。
高山さんは年に3、4回事務所に来て帳簿類を見てくれた。電話での質問への回答も含めれば、相当の顧問料を払う必要があったのだろうが、高山さんはそんなことは口にしない。私たちはどこかで同志だった。
(日本経済新聞朝刊2013年6月16日掲載の『私の履歴書』より引用)