わたしの生きる道

第41話 六本木の小さな事務所で 会社が産声を上げた

資本金は母から生前贈与でもらった100万円を充てた。留学したのが34歳のとき。そして今は40歳目前での起業だ。だけど何かを始めるのに遅いことなんてないと思っていた。

六本木にあるアパートの2階の部屋を借りて、自宅兼事務所にした。そして玄関のドアに「テンプスタッフ」と書いた看板を掲げ1973年5月24日、小さな会社が目算もなく産声をあげた。

臨時社員の派遣は外国で生まれたシステムだから、外国資本の会社に営業に行けば手っ取り早いだろう。英字新聞などを読んでいると、外資系企業は六本木辺りに集中している。六本木を選んだのはそんな理由からだった。

部屋の広さは16畳ほどで机が一つ、電話と英文タイプが1台ずつ。ベッドはカーテンで隠した。取りあえずシドニーでもらってきたパンフレットのデザインを借用してチラシをこしらえた。

アルバイトに来てくれた姪(めい)を電話番に残し、チラシを持って外資系企業を手当たり次第に訪問した。英語で書かれたチラシの文言はシドニーで使われていたものだから相手には説明不要。こうして会社の名前だけは次第に知られるようになった。

(日本経済新聞朝刊2013年6月15日掲載の『私の履歴書』より引用)