わたしの生きる道

第29話 母の手が震えていた

往復の航空運賃は46万円で大卒の初任給が3万円といわれていたから、その1年3カ月分。外貨の持ち出し上限が700ドル、つまり25万円だった。自分の蓄えに、母が私のためにためてくれていたお金を足しても余裕はない。

スイスの教育機関から資料を取り寄せ、留学先はチューリヒの語学学校に決めた。滞在費を確認するための預金通帳、入学証明書、航空機のチケットを持参してスイス大使館で留学ビザをもらった。

1969年5月、私は羽田の東京国際空港から日航機に乗った。その前夜、母に「見送りに来なくてもいいからね」と言ったのに、母は空港まで来た。出かける朝、化粧を直す母の手が震えていた。やはり遠い外国に一人旅立つ娘が心配だったのだろう。

初めて乗った飛行機の狭い椅子に、身を固くして座っていた。アラスカのアンカレジ経由でヨーロッパに入り、何度か乗り継いでチューリヒに到着した。

(日本経済新聞朝刊2013年6月11日掲載の『私の履歴書』より引用)