わたしの生きる道

第21話 苦しむために生まれてきた兄

それでも亡くなる何年か前には美人の恋人ができた。結婚を考えていたようだが、母が反対した。勤めもままならない体では、お嫁さんに苦労をかけると考えたからだった。相手の娘さんも諦めるしかなかった。

そんな兄は病気がひどくなって相模原の病院に1年ほど入院していた。私は休みの日に何度か見舞いに行った。

病院から秀夫兄が亡くなったという知らせが届いたのは夜中だった。朝を待って母と己拔(きばつ)兄が病院に向かうことになり、母は着物を着ようとした。だが手が震えて帯が結べない。「己拔、結んでおくれ」と叫ぶように言った。兄は自宅に戻って荼毘(だび)に付された。

会社から帰ると、秀夫兄が使っていた机に向かい、何かを読んでいる母の背中があった。それは兄が残した日記だった。母は泣いていた。「あの子は苦しむために生まれてきたようなものね」。母と一緒に私も泣いた。

(日本経済新聞朝刊2013年6月7日掲載の『私の履歴書』より引用)