わたしの生きる道

第18話 婚約はなかったことに

お兄さんは小さいとはいえ会社の社長で、感情を表に出さない物静かな人だった。だが見たこともない厳しさが顔に浮かんでいる。私はただならないものを感じて緊張した。お兄さんが私の顔を真っすぐ見て言った。「欣子さん。あなたの同僚から聞いたことなんだが、あなたは弟と婚約してからも別の何人もの男と付き合っているそうじゃないか」

私は思いもかけない言葉に絶句した。一体、なんの話なのだろう。口を開くことを忘れた私に、お兄さんの言葉がかぶさる。「そんな人を弟の嫁にするわけにはいかない。話はなかったことにしてほしい」

確かに会社帰りに男友達から食事やお茶に誘われれば、軽い気持ちで付き合った。自分にやましいところがないからできたことだった。

彼を好きだった同僚の誰かが、私との結婚を邪魔するためお兄さんに告げ口したということ? そんな人がいるの? 殴られたように、目の前が真っ暗になった。

(日本経済新聞朝刊2013年6月6日掲載の『私の履歴書』より引用)