わたしの生きる道

第14話 「いやなものはいや」 青春を楽しみたかった

母から相談された己拔兄が「先方にはもう返事をしちゃったんだぞ。どうしていまになってそんなことを」と厳しい顔をした。「でも、いやなものはいやなのよ」。結局、母と兄が先方に断りに行った。私はもっともっと青春を楽しみたかった。

おしゃれに目覚めていた私は、19歳になると雑誌の広告で見つけた有楽町のビューティースクールに通い始めた。行くのは週1回。平日だが、仕事は夕方の4時に終わるし、女子社員には残業がなかったから、電車を乗り継いでも5時には着いた。

目の前は花の銀座。そこで化粧の仕方、洋服の着こなし方、話し方、歩き方、帽子のかぶり方なんかを教わった。講師は大物ぞろいで、歩き方の講師は俳優座の演出家だった。折に触れて東京会館で有名人を招いたパーティーが開かれる。あるときのゲストは新国劇の島田正吾さん。あるときは作詞家の藤浦洸(こう)さん。クリスマスパーティーの司会はNHKアナウンサーから参議院議員になる高橋圭三さんという具合だった。若い男性も来ていて、出会いの場でもあった。

(日本経済新聞朝刊2013年6月5日掲載の『私の履歴書』より引用)