わたしの生きる道

第10話 女性社員は「事務手伝い」と言われた。

三菱日本重工業川崎製作所は社員約3000人の大工場で、主にトラックやバスを製造していて、米軍車両のエンジンを修理する仕事もあった。20~30トンもある巨大なハンマーで鉄をたたく鍛造工場のそばを通ると、地響きで体が浮くようだった。

終戦から8年がたち、日本が高度成長の坂を登ろうとする時代だったから、いま思えば工場は熱気と高揚感に包まれていた。配属されたのは総務部資材課で、夏に資材部資材課になった。課員は倉庫係を入れて100人はいただろうか。

女性社員は「事務手伝い」と呼ばれ、特別な技能がない限り責任を伴う仕事は任されなかった。それを不思議とも思わず、朝の8時に出社し夕方4時に退社した。昼休みになると男性社員はマージャン卓を囲み、囲碁や将棋を始める。私たち新入女子社員は、先輩の男性社員のために食堂から昼食を運んだ。

午前10時と午後3時がお茶の時間と決まっていて、食堂の「火たきのおじさん」からヤカンにお湯をもらい、30人ほどの役付きの席にお茶を持っていく。それぞれの湯飲みの形や模様を覚えるのが大変だった。

(日本経済新聞朝刊2013年6月4日掲載の『私の履歴書』より引用)