わたしの生きる道

第9話 成績優秀、学校推薦で大手企業へ

「割烹(かっぽう)」の時間もあった。土間の上に調理台が並び、白い割烹着に三角巾で髪を覆って包丁を握る。火はガスではなく七輪だった。「被服」の時間では針で縫い物をした。比較的手先が器用な私は服をつくる楽しみを知った。

学校名は途中から高木女子商業高校に変わり、楽しい思い出ばかりの高校時代が終わろうとしていた。成績が良かった私は、学校推薦で三菱日本重工業という会社の入社試験を受けることになった。戦後の財閥解体で分割された三菱重工の1社で、学校に言われるまま南武線鹿島田駅に近い川崎の工場にある講堂で、何百人もの中に混じって答案用紙を前にした。

何日かして学校を通じ合格の連絡があった。友人たちは「よく受かったね」と喜んでくれたのに、当の本人は「そうなのかな」としか思わなかった。振り返れば懐かしい18歳の春だった。

(日本経済新聞朝刊2013年6月3日掲載の『私の履歴書』より引用)