わたしの生きる道

第8話 かつての敵性語、英語熱高まる

終戦の翌年にスタートした英会話番組で「カムカム英語」の名前で人気があった。戦前、英語は敵性語とされ、学校でも町中でも耳にすることがなかったが、戦後になると欧米の映画や音楽が奔流のように入ってきて、にわかに英語熱が高まった。いまでも「カムカムエブリバディ ハウドューユードュー」と、あの歌が最後まで歌える。相当熱心にラジオを聴いていたようだ。

高木学園は当時、中高一貫だったから入試もなく高校生になった。仲良しの顔ぶれは中学から変わらず「箸(はし)が転んでも」の言葉通りに、ささいなことでもおかしくて仕方がなかった。

進学と同時に語学部に入った。若い男の英語の先生が顧問だった。「郵便友の会」を通じて、マレーシアのペンフレンドを紹介してもらった。届いた手紙を辞書と首っ引きで和訳し、やはり辞書を頼りに返事を書く。

秋の運動会も楽しかった。綱引きやリレーといった種目のほかに恒例の仮装行列がある。普段は制服姿の友人がお母さんのような着物を着たりするだけで、運動場は笑い声に包まれた。

(日本経済新聞朝刊2013年6月3日掲載の『私の履歴書』より引用)