わたしの生きる道

第7話 「カムカムエブリバディ」英語との出会い

不登校ではなく、登校拒絶。言い出したら聞かない私の性格を知っている母は、私を転校させることにした。やがて己拔(きばつ)兄が電車で通えて授業料が比較的安い学校を見つけてきた。

こうして1948年、横浜線の菊名駅に近い私立の女子校、高木学園の中学部2年生に転入した。自宅から中山駅まで歩いて30分、菊名まで電車で20分、菊名駅から10分足らず。1時間の通学だった。

学校は高木君(きみ)先生が始めた裁縫塾から発展したもので、明治後期の創立なのに「良妻賢母」を看板に掲げず、自立した女性の育成をうたっていた。私が通っていたとき高木先生はまだご存命で、週に1度、訓話を聞いた。
助産師の母の仕事部屋でもある小さな「診察室」が、家の土間の隅にある。妊婦さんが訪ねて来るときとお産のとき以外は、そこが私の読書室になった。手ごろな広さで静かな部屋に、父が残した本を持ち込んでいつまでも読みふけっていた。

夕方になると居間の食器棚の上のラジオから「証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬきばやし)」のメロディーに乗せて「カムカムエブリバディ」で始まる英語の歌が流れてくる。すると私はちゃぶ台に座って、じっと聴き入った。

(日本経済新聞朝刊2013年6月3日掲載の『私の履歴書』より引用)