わたしの生きる道
第5話 「自宅で最期を」。未熟児の看病
助産師の母について忘れられないことがある。近所で医師がさじを投げるほどの未熟児が産まれた。「この子は育たないから自宅で最期を」と言われたという。母はその男の子の小さな体をワラや布を敷いたミカン箱に寝かせ、湯たんぽを置いた。足しげく通って、赤ん坊の背中に差し入れた手で体温を測り、湯たんぽの温度を調節した。布に含ませて飲ませたお乳が命に息吹を与え、赤ん坊は元気な泣き声をあげるようになった。
男の子はすくすくと育ち、そして母への感謝を忘れなかった。初月給で贈り物を買って母を訪ねてきた。贈り物は毎年欠かさず、母が亡くなってからも命日の墓参りを続けてくれた。
母は横浜の学校に通って23歳のとき助産師の資格を取った。教師の夫がいるのだから生活のためだったとは考えにくい。近所に助産師がおらず村の女性が難儀する姿を見ていて「それなら私が」と思い立ったのではないだろうか。その仕事は父の死後、一家6人の暮らしを支える。私にとって母は誇りだった。
(日本経済新聞朝刊2013年6月2日掲載の『私の履歴書』より引用)