わたしの生きる道

第3話 助産師の仕事に打ち込む母

自宅で出産するのが当たり前の時代。夜中だろうと明け方だろうと産気づいた妊婦の家族が戸をたたく。すると母はすっと立って身支度を整え、自転車のペダルを力いっぱいこいで出かけていった。

私はおかっぱ頭に洋服を着て、ランドセルをカタカタ鳴らしながら横浜市立山下国民学校に通った。子どもの足で30分ほどの道のりだったが、苦にもならず田畑の中の道をてくてく歩いた。
試験で悪い点を取るのが大嫌いで、母が「もう寝なさい」と言っても机から離れなかった。級長は男子、副級長は女子という決まりがあって、私はずっと副級長だった。

家の土間の本棚に父が残していった文学全集や落語の本が並んでいた。母の目を盗んで読みふけったおかげで、いまでも「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……」と早口で言える。
長兄の秀夫は幼いころから喘息(ぜんそく)に苦しんだ。両肩を激しく上下させて喉からぴゅーぴゅーと音を漏らす兄のことを、両親はいつも案じていた。

(日本経済新聞朝刊2013年6月1日掲載の『私の履歴書』より引用)