わたしの生きる道

第2話「おまえと欣子が心配だ」

次兄が聞いた父の末期の言葉は「おまえと欣子が心配だ」というものだった。どちらも利かん気だったせいだろう。

父より8つ年下の母タツの女手に長女美多子、長男秀夫、次男、私、三女敏子という、上は18歳から下は5歳までの子が残された。母は若いころから助産師をしていたが、仕事で出かけるのはときどきだった。5人もの子どもを育てるほどの収入があったとはとても考えられない。

本家から私を養女にという話があった。大好きな母と離れて暮らすことなど思いもよらなかった私は「いや」と言った。すると妹の敏子がもらわれていった。しかし妹はどこをどう歩いたのか、遠い本家から独りで戻ってきた。

「こうなった以上は」と腹をくくったのだろう。母は家の土間の隅に小さな産室をこしらえて、助産師の仕事に打ち込み始めた。

(日本経済新聞朝刊2013年6月1日掲載の『私の履歴書』より引用)