わたしの生きる道
第55話 働き者のコンピューターを導入

乃木坂に本社を移した翌年だったと思う。顧客企業、登録スタッフが増えるに従って支払い、請求業務が膨大になった。そろばんや電卓ではどうにもならない。私はある社員に「コンピューターを買ってきて」と言った。
シドニーの会社で働いていたとき、オフィスに大きな機械があって、同僚たちは「コンピューター」と呼んでいた。どこまで役に立つかよくわからなかったが、ともかく計算能力は機械式計算機に比べて桁違いということだけは知っていた。
社員はある販売会社を見つけてきた。その社長は私の苦労を察してくれたらしく、800万円した当時最新鋭の国産コンピューターを500万円にまけてくれた。それには給与計算ソフトがついており、事務負担は劇的に減った。
仕事が膨らんでくると手が回らないことも出てくる。東京都心から離れた企業の需要にこたえきれないこともそのひとつだった。そこで1981年に横浜支社、82年に大阪支社を開設した。
(日本経済新聞朝刊2013年6月20日掲載の『私の履歴書』より引用)