わたしの生きる道

第37話 多様な文化を認め合い、尊重するすばらしさを知った

PRSA社では秘書だったからタイプを打つことが多かった。ロンドン時代に英文タイプの塾のようなところに通って、それなりに打てるようにはなっていたのに、やはり打ち間違える。すると最初からやり直しだ。打ち間違えた紙は捨てると目立つので、そっとバッグに隠した。

同僚には豪州人だけではなくフィリピン人もいればフランス人もいた。ということはそれぞれ背負っている文化が違う。母国語が違う。味覚もファッション感覚も違う

そんな多様な文化を認め合い、尊重するすばらしさを知ったのは大きな収穫だった。そしてシドニーでの仕事や生活に不満はなかった。

しかし、日がたつにつれて日本への思いが募っていった。私はいつまでたっても、この国では外国人の1人だ。日本人同士のように目線で語り合うとか、あうんの呼吸でわかり合うということもない。もともと永住するつもりで来たわけではないから、いつか帰る気でいた。1973年3月、帰国することにした。

(日本経済新聞朝刊2013年6月14日掲載の『私の履歴書』より引用)