これは、派遣社員として働く渡辺さんのお話です。
渡辺さんは正社員としてファッションビルで店長を務めていましたが、結婚・出産・離婚を経験。現在はテンプスタッフを通じてすでに30年以上も派遣社員として働いてこられました。
一人娘を育てながら派遣社員として働いてこられた渡辺さんは、派遣という働き方やテンプスタッフについて何を思うのでしょうか。詳しく伺っていきました。

派遣ママ:渡辺(わたなべ)さんシングルマザーとして一人娘を育ててきた派遣社員。派遣のキャリアは30年以上で、現在は総合エネルギー会社で事務業務を担当している。
渡辺さんは、正社員としてファッションビルで店長を務めていたとか。
そうです。もともとはアルバイトで販売のお仕事をはじめたんですけど、「正社員にならない?」って言われて。そのあと新しいお店の店長を任されました。

すごい。きっと優秀なんでしょうね。
いえいえ、そんな。その後、同じ職場で知り合った方と結婚しまして、翌年には娘を出産しました。それで、展開が早いんですけど、翌年には離婚しまして……。
シングルマザーになり、実家へ帰ることに
え!……それは大変でしたね。
女性の厄年の「前厄」「本厄」「後厄」が「結婚」「出産」「離婚」と重なっていたので「出産で厄を落として離婚できた!?」とか思っちゃいましたね(笑)
いや、笑えないです……。それで、どうされたんですか?
小さい娘を連れて実家の木更津に帰りました。
千葉の木更津ですか。

そうです。それで、「娘を育てていかなきゃ」ってことで最初は生命保険の営業をやったんです。離婚する直前までやっていたので。
保険を売っていくわけですね。
ええ、それなりに成績も上げていたんですけど、それ以上にノルマがきつい時代でしたからね……。頼めるところに頼み尽くしたら、もう無くなってしまって。
あまり無理すると周囲との関係が悪化するってよく聞きますし。
そう。それに、生命保険の営業って土日も動いたりしなきゃいけないわけですよ。
子育て世代には厳しいですね。時間が無くて。
でも逆に言うと、営業先に向かう車に乗っている時だけが自分の時間だったんですよね。だから営業に行くついでに遠回りして、とにかく長く車に乗っていようとしました。
ああ、一人になりたくて。
ええ、そういうこともありましたね。まあ、両親がいて、娘を見ててくれたからこそ仕事ができたんですけど。でも、結局は長く続きませんでした。
派遣社員になり、育児に奔走
辞めてしまいましたか……。次はどうしたんですか?
そこでテンプスタッフに登録をしましたね。確か、千葉の君津で出張登録説明会があったのかな?もともとタイピストをやっていたので、ブラインドタッチは得意だったんですよ。

じゃあ、入力系の事務のお仕事をされたわけですか。
そうですね。仕事は順調に進んでいきましたけど、子育ては大変でした。娘が小学校とか中学校にあがるたびにPTA活動に参加しなくちゃならなかったり。
ああ、あれは大変ですよね。
私ずっと「フルで働いているから無理です」って逃げていたんですけど、「今は皆そうですから!」ってPTAの会長さん達に言われちゃって、逃げられなくなって。
あらら。
渋々ながら広報委員をやりました。でも、派遣で培ったPCスキルを駆使して広報誌を作成したりして(笑)派遣先の方も「学校の対応、大変でしょう」ってプライベートのことも応援してくれるような方ばかりで、恵まれていました。
それは良かったです。
あと、家庭内でも大変な面がありまして。
え、なんですか?
母が家で娘を見てくれるのはいいんですけど、ちょっと厳しい人だったんです。
娘と母に軋轢が生じて、実家を出ることに
例えばご飯を用意してくれても、娘が全部食べ終わるまで何時間でも終わらせないとか。
わあ。「全部残さず食べなさい!」って感じですか。
そう、そういう感じの人だったんですよ。で、娘がだんだん大きくなるにつれて、2人の間に軋轢が生まれるようになって。

空気が悪くなっていったんですね。
ただ今まで面倒を見てもらっていたわけだから、「もう出て行く!」って遠くに行ってしまうのはできないと思って。その時は、もう両親もだいぶ年を取ってきていましたし。だから、歩いてすぐの一番近いアパートに二人で出たんです。
娘さんとお母さんの距離を取ろう、と。
そうです。そんな感じで二人暮らしをしてました。私は毎日実家に通って、「いろいろとお手伝いはするから」っていう約束で。
大変でしたね。
それもまあ、派遣で安定した収入があったからこそできたんですよね。
なるほど、安定して働けるって大事ですね。

ただ、2009年にテンプスタッフで毎年受けている健康診断の際に「ちょっと胸の辺りに影がある」って言われて。「すぐに専門の病院に行ってください」って。
え!
健康診断で“乳がん”が発覚。そして、13年後の全摘――
それで行ってみたら、乳がんでした。念のため片側を切り取らなきゃならなかったんですけど、その時は「再建」っていうインプラントを入れる手術をしたんです。
そうだったんですね。
忘れもしないですよ、年末の忙しい時なのに「明日から入院します」って派遣先に言って、クリスマスイブに手術でした。それで、「おおみそかに退院です」って言われたんですけど「もう1日だけ入院させてください」ってお願いしたんです。
え、なぜですか?
海のそばの病院だったので、初日の出が見たかったんですよ(笑) 海から昇る朝陽って綺麗じゃないですか。
ま、まあ、確かに(笑)

それで年始に派遣先に行ったらみんな心配してくれて、重い物を持つような仕事は「私たちがやりますから」ってフォローしてくれて、すごく嬉しかったですね。
それは良かったです。それ以降はご無事で?
いえ、それから13年経った時に、もう片側の乳房にがんができていることが分かって。それはもう「抗がん剤しか効かない」って言われて、毎週水曜に通う感じで治療を続けました。髪の毛も抜け落ちて、最後は10日ぐらい入院して全摘をしなきゃいけなくて。
ああ……。大変でしたね。
でも、毎週水曜に休むことも、最後に10日休むこともテンプスタッフの営業の方が来て話をしてくれたんです。派遣先の方も快く承諾してくれて、本当に助かりました。
母の介護と、最期の時。「私は派遣社員で良かった」
ただ、そんななか、父が91歳で亡くなって、94歳の母が一人になってしまったんですよね。もう足も悪くなっていましたし、介護をしなければならなくて。
94歳で足を悪くして一人暮らしだと、介護は必須でしょうね。
そう。仕事帰りに行って夕飯を食べさせて、薬を飲ませて、掃除・洗濯して、おむつを替えて、マッサージして寝かしつけて……。毎日通ってやっていました。たまにはお風呂に入れたり、何かあれば病院に連れて行ったりとかもね。
毎日通って……。

でも、3年くらい経ったらさすがに介護生活にも疲れてしまって……。訪問介護を頼もうと思ったんですけど、本人に相談したら「知らない人が来るなんて嫌だ!」って言って聞かなくて……
渡辺さんじゃないとダメだったんですね。
ええ、でも無理やりでも頼もうと思っていた矢先のある日、自宅の布団で静かに亡くなっていました。心臓の病気でしたけども……。
そうでしたか……。お母様も、最後まで渡辺さんに面倒を見てもらって嬉しかったと思いますよ。
だといいんですけどね。
それにしても激動でしたね。経験がすごい。
そうなんですよ。もう本当にいろんなことを経験してきて。だから、派遣先にテンプスタッフの方がフォローしに来てくれるじゃないですか。話していると、いつの間にかその子にいろいろと相談されますからね(笑)

ええ! な、なんかスイマセン(笑)
いえいえ、私もたくさんお世話になりましたからね。本当に恵まれていたし、だからこそ30年以上も続けて来れたんだと思います。派遣でよかったですし、テンプスタッフの皆さんにはすごく感謝してますよ。
それは嬉しいです。
私の周りで「派遣で働こうかな」って子がいたら、「テンプスタッフにしておきな!」って勧めてますからね。