これは、パーソルテンプスタッフを通じて派遣社員として働いている渡辺さんのお話です。
渡辺さんは正社員として社会人生活をスタートさせましたが、途中で派遣社員に転向。これまで30年以上、テンプスタッフを通じて派遣社員として働いてきているといいます。
なぜ渡辺さんが正社員から派遣へとシフトしたのか。これまで30年以上も派遣で働いてきて、何を感じるのか。詳しく伺っていきました。
手元の資料によりますと、渡辺さんは大手重工メーカーの出身で。
そうです。1970年代に『英文タイピスト』という職業があったんですけど、タイピストとして働いていました。
演劇に目覚め、正社員から「脱落者」へ
英文タイピスト、ですか。
まあ、若い人は知らないですよね(笑) タイプライターを打つ仕事です。その時代からブラインドタッチが得意だったんですよ。ただ、働いている途中で演劇に目覚めてしまって。

演劇に! それは何がきっかけなんでしょう?
小劇場で行われた芝居を観に行って「私、これやりたい!」って思っちゃったんですよね。それで劇団に応募して、小さな劇団に入ったら稽古とかでいろいろと忙しくなって。
正社員として働きながら続けるのは難しそうですね……
そうなんです。当時は定年まで勤めるのが当たり前の時代なので、辞めるとか転職するなんて「脱落者」みたいなイメージがありました。
“終身雇用”の時代ですものね。
まさに。それで先輩に相談したんですよ。そうしたら、その先輩が「私の知り合いが『派遣』っていう事業をはじめたから、会って話を聞いてみたら?」って言われて。
え、1970年代に派遣の事業をはじめたって……まさか。
そう、篠原欣子さんです。テンプスタッフを創業された。
えええ! それで、会いに行ったんですか?
テンプスタッフを創業した篠原欣子と面談
はい。六本木のマンションの1室みたいなところに伺って。タイプライターとか書類がいっぱい並んでいる部屋でしたね。篠原さんはすごく上品な女性で、自分が来るのは場違いじゃないかって思ってしまうほどでした。

創業当時の篠原(パーソルテンプスタッフ公式サイト「わたしの生きる道」より)
それで、面談とかされたんでしょうか。
ええ、その場ですぐ面談して、タイピングの試験があって。もうその日に仕事が決まりましたね。
その日に!
フランスの化粧品メーカーでタイピストとしての仕事でした。フランスの化粧品メーカーだなんて、「そんなところで働けるの?」って驚きましたね。
そうか、もともと『派遣』は海外で生まれたシステムだから、篠原は外資の会社に営業に行っていたとは聞いたことがありますね。
そうだったんですね。
とは言っても、当時は無名に近かったので篠原は手づくりのチラシを作って、いろんな外資系企業に電話営業や飛び込み営業をしていたらしいです。

創業当時の篠原(パーソルテンプスタッフ公式サイト「わたしの生きる道」より)
へえ。そんなパワフルな方だったなんて。
それで、フランスの化粧品メーカーで働くことが決まったんですね。
派遣も劇団も辞め、結婚・出産、そして離婚……
ええ、正社員で働いていた大手重工メーカーは辞めて、会社の寮も出てアパートで1人暮らしをはじめました。
じゃあ、しばらくは派遣でその化粧品メーカーに。
それが……。
どうしました?
経理をしていた女性から魔の誘いがありまして。「あなたいくら貰っているの? うちが直接もっと払うから、うちの会社に来れば?」って。
おっと、引き抜きですか。
そうなんです。お金に目が眩んで、テンプスタッフを裏切ってしまって……。
まあ、派遣法が制定されたのは1986年ですし、まだ1970年代はまだまだいろんなことがあったんでしょうね。
あの時は、若気の至りでした。

では、お仕事も充実して劇団の活動も順調にいったんでしょうか。
そうですね。フランス人の支社長達が小さな劇場に見に来てくれたりもしたんです。
それはすごいですね。
でも、どうしても劇団の活動のほうが忙しくて、やっぱり仕事をしていると時間が足りなくなっちゃいましたね。それで、辞めてしまいました。
そうでしたか。
その後、劇団の活動も上手くいかなくなって辞めてしまって、仕事も転々として。結婚して、出産して、離婚して。
再びテンプスタッフへ。そして篠原社長との再会
目まぐるしいですね。
ええ、激動でしたよ。1991年でしたか、シングルマザーとして娘を育てないといけなかったので、また派遣を選びました。再登録先として選んだのはもちろん、以前にお世話になったテンプスタッフです。

お待ちしてました(笑)十数年ぶりに派遣に戻ってみて、いかがでしたか。
そうですね。タイプライターもワープロに変わっていて。私も勉強しなおさなきゃ、って思っていたらすぐ、パソコンが出てきて。
お、Windowsが出てきた頃ですね。
はい、当初は仕事で『一太郎』とか『花子』というアプリケーションソフトを使っていましたけど、それもExcelとかPowerPointとかAccessに変わっていって、追い付くのが大変でしたね。
ああ、『一太郎』とか『花子』って懐かしいですね。新しい技術の勉強はどうされたんですか?
それが、テンプスタッフが研修もやってくださって。スキルアップの支援制度が充実していたから、すごく助かりましたよ。仕事も一生懸命やっていたら表彰とかしてくれましたし。
『スタッフアワード』で受賞されたんですね。素晴らしい。
何度か受賞させていただきましたね。

第2回スタッフアワードのパンフレット。向かって左が渡辺さん。
それで授賞式とかで本社にお邪魔したら、篠原社長にお会いしたんですよ。それで「あら、あなた来てたの?」って声を掛けてくださったんですよね。あの時は本当に嬉しかったなあ。
そんな再会があったんですね。それで、現在も派遣で就業いただいて。
もう再登録してから、なんだかんだで34年ですね。
派遣の歴史と歩んだ長期就業。そして『シニアの働き方』とは
うわあ、すごい長期ですね。本当にありがとうございます。34年を振り返ってみて、いかがですか?
派遣の業界も、紹介予定派遣が解禁されたり、「3年ルール」が導入されたり、無期とか有期とか、在宅だとかいろいろと変化がありましたね。私はあんまり詳しくはわからないんですけど……
確かに、派遣法も改正されたり働き方も変わったり、いろいろと動きがありましたね。
でも、何かあれば裏で営業の方が交渉してくださったり動いてくださって、私は細かいことを気にせずに目の前の仕事に専念させてもらいました。それは本当にありがたかったですね。
そうでしたか。ちなみに、今は年金ってどうされているんでしょう?
来年で70になりますけど、年金は一部をもらっています。一部をもらいながら、社会保険も払いながら。で、計算してみたら、73歳ぐらいまで働いたら月の年金額が結構いくみたいで。「よし」って(笑)

じゃあまだまだ頑張らないと。
ええ、派遣先が私をまだまだ戦力として認めて下さるのであれば、シニアとして73までは頑張るぞって感じです。それに、職場にいる他の派遣社員の方たちも「渡辺さんがいるってことは私も70過ぎても働ける!」って感じで見てくれるので、そういう意味でも頑張らなきゃって思ってます。