これは、テンプスタッフを通じて派遣社員として働く前田さんのお話です。
札幌で生まれ、その隣の市にずっと住んできた前田さんは、大学を卒業後に就職。そして現在は、完全在宅の派遣社員として働きながら、ミセスコンテストにも挑戦したのだといいます。
前田さんがなぜ派遣で働きはじめたのか、なぜミセスコンテストに挑戦したのか、その結果はどうだったのか、詳しく伺っていきました。
前田さんは札幌がご出身ということですが、大学を卒業した後は就職されて?
はい、ちょうどバブルが崩壊して就職先が見つからない時期でしたけど、最後の最後でなんとか求人情報誌の広告営業として就職できました。
重いカバンの持ち過ぎでヘルニアを患う
求人誌の広告営業はいかがでしたか?
重いカバンを持って徒歩で営業をするので、とにかく大変でしたね。腰がどんどん痛くなってしまいまして。
わあ、大変そう。

続けていたらヘルニアを患ってしまって、入院することになりました。
え、入院まで!
はい。退院したら内勤の制作業務に異動させてもらえたんですけど、やがて営業が足りなくなってきて「また営業をお願いできる?」という話になったので、やむなく転職を選択することにして……。
また腰を悪くしたら大変ですからね……。次はどんなお仕事を?
もともと同じ会社だった人が勤めているイベント会社があって、そこで「登録しない?」と誘われたので行きました。最初は単発のイベント業務をしながらアルバイトもしていたんですけど、単発のお仕事が増えていったので契約社員になりました。
イベント運営会社の契約社員、ですか。
イベント会社から、市の臨時職員へ
ええ、すごく面白かったので11年ぐらい続きましたね。
11年!それは長いですね。
ただ、大変な面も多かったです。イベントは土日祝日が主体ですから、休みという休みがなくて。体力も使いますので、段々ときつくなってしまいました。気が付けば40代に突入していましたから。
それで、どうされたんですか?
ちょっと色々と考えなきゃいけなくて、次は市の臨時職員になりました。
市の臨時職員!? また、これまでとは全然違いますね。
そうなんですよね。収入もガクッと下がりました。実は、父親の体調が良くなくて入退院を繰り返していたんです。私には姉もいますが、姉は転勤の多い仕事だったので近くに私しかいなくて。
なるほど、そんなご事情が……。
それで、ちょうど募集が出ていたので応募して臨時職員として採用されました。家からも近いですし、融通が利きましたね。
そうでしたか。では、市の臨時職員として安定的に長く勤められて?
50代を迎えて「私、これでいいのかな?」
いえ、そうしたかったんですけど、今度は人間関係で少し悩むことがありまして……。
あららら。

そのまま居続けて精神を擦り減らすよりは、自分で環境を変えた方がいいな、と思って辞めました。それで、「色々と試しながら自分が一番働きやすい職場を探す方法ってないのかな」と考えた結果、『派遣』を選ぶことにしたんです。
なるほど。働きやすい職場を探すために派遣を。
はい。まずはいろんなところに登録をして、お声がけいただいたお仕事をやらせていただきました。ただ、そうこうしているうちに父が亡くなり、今度は母の介護が必要な状況になってしまって……。
それはまた大変ですね……。
日常的なことがどんどんできなくなっていって、サポートが必要になりました。ただでさえ住んでいる地域は雪が多くて行動しにくいし、除雪も大変なんです。それ以外にもやるべきことが次々と増えていくなかで、いかにして時間を作るべきかを考えました。
ああ、時間の捻出は悩ましいところですよね。
ただ、家族のサポートはもちろん大切なんですけど、一方で自分自身も50代を迎える年齢になってきたときに、「私、これでいいのかな?」って思うようになりました。
日々の生活に疑問が。
もともと私は自由に遊び回るのが大好きだし、車を運転して出かけるのも大好きなんです。そういった好きなことをすべて我慢して生活していたら、いつの間にかストレスが溜まっていたんですよね。でも、「自分自身が選択してきたことなんだから、自分で工夫しなきゃ」と考えました。

完全在宅の派遣の仕事に巡りあうことに
なるほど。自分のことは自分で何とかしなければ、と。
そうしたら、ちょうどコロナ禍になって派遣のお仕事も在宅が増えてきたんです。
ちょうどその時期でしたか。
ええ、「この働き方はすごくいいな」って思って。「在宅のお仕事で、自分の強みを生かせることはないかな」と考えながら積極的に仕事を探していったら、テンプスタッフから完全在宅のテレアポのお仕事をいただけることになったんです。
家にいながら営業の電話をする感じですね。
そうです。実は電話のお仕事は得意でして、過去に電話応対コンクールで予選を通過したこともあるんです。所属の関係で本選は辞退してしまったんですけども。
なるほど。それで完全在宅の電話のお仕事を。大変さはないですか?
もちろん、すぐに切られたり、暴言を吐かれてしまったりすることもありますけど、うまく気持ちを切り替えながらやれています。

何より、完全在宅で通勤がないので『自分の時間』ができて非常にありがたいです。
通勤がなくなるのは大きいですよね。捻出された時間で、ご家族のサポートですか。
それもそうなんですけど、自分の時間も大事にしています。やっぱり、1回しかない人生を楽しく生きたいですからね。自分へのご褒美は自分であげなきゃならないな、と。
50代からミセスコンテストへの挑戦
おっしゃる通りですね。では、ご自分の時間で何をされているんでしょう?
実は、数年前から北海道の知人が「ミセスコンテスト」に出ているのが気になっていたんです。いろんな知人が出場しているなかで、私よりひと回りも上の先輩が出場するって聞いた時にすごく驚いて。
ひと回りも上の先輩が出場するというのは、確かに驚きですね。
コンテストでは、年代別で部門も分かれているんです。それで、見ていたらすごく輝いていて「いいな」と思って色々とお話を聞いてみました。そうしたら、「出てみたらいいじゃない」って背中を押されて。
それで、チャレンジしてみようと。

そうなんです。賞金がもらえるわけでもないし、準備も色々と大変なんですけど、まさに『自分へのご褒美』というか、やってみたいと思ったことはやってみようと思ったんです。
素敵ですね。“準備”というのは具体的にどんなことですか?
審査の際に14cmヒールを履いてランウェイを歩かなきゃいけないので、ウォーキングの練習から始めました。ピッタリしたドレスも着ていますので、すごく歩きにくくて、最初は生まれたての小鹿かってくらい足がガクガクしてました(笑)
生まれたての小鹿(笑)
ウォーキングだけでなく30秒間のスピーチもあるので、30秒に思いを込めて話をする練習もしました。あと、審査員からの審査だけでなく、“応援票”というのもあるんです。
応援票?
選挙と同じで、周囲の皆さんからも票をいただかないといけないんです。だから慌ててインスタの投稿を軌道修正しました。それまでは適当にやっていましたけど、“自分の見られ方”をすごく意識するようになって。
わあ、まさに挑戦の連続ですね。
自分でも驚いたんですけど、目標が決まって、それに向かって取り組んでいくと、余計なことをまったく気にしなくなりました。目標に向かって突き進むことで、自分の中から今までにないパワーが出てくるというか。

ミセスコンテスト2023の結果は……
いくつになっても挑戦するって大事なんですね。
私の地元ではそういった挑戦をする人がそんなに多くなかったせいか、周囲からの見る目も変わって、すごく応援してくれるようになったのが嬉しかったですね。
それで、結果は……?
おかげさまで、『ミセスオブザイヤー2023』というコンテストの北海道大会で、ゴージャス部門のグランプリを獲得しました。
北海道でグランプリ!
その後に日本大会のファイナリストになりましたけど、残念ながら受賞はなりませんでした。でも、北海道大会のグランプリをきっかけに、モデル事務所をはじめいろんなところから連絡が来るようになってビックリです。
すごい!挑戦した甲斐がありましたね。

いくつになっても自分を磨けるし、変化もできるし、可能性が開けることを実感しました。これも、昔のような働き方では挑戦できませんでしたので、完全在宅の派遣だったからこそですね。
捻出した時間でご自身の「やりたいこと」に挑戦できた、と。
ええ、そもそも自分自身の「やりたい仕事」を「やりたい条件」で見つけ出せるのが派遣のメリットだと思いました。本当にありがたいです。
良かったです。今後の目標などはあるんですか?
いずれは個人事業主のような形で自由な場所で仕事ができるように、より一層自分を磨いていきたいです。これからの自分自身も楽しみになりました。
