本記事では派遣営業の1日のスケジュールを通じて、派遣営業が日々「何を考えながら仕事をしているのか」を紐解いていきます。

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今回の派遣営業:中橋 翔子(ナカハシ ショウコ)2022年パーソルテンプスタッフ入社
所属:西日本営業本部 公共営業一課 マネージャー
勤務地:福岡
担当エリア:福岡市博多区

派遣営業(マネージャー)の1日中橋 翔子の場合)

朝は9時からミーティングです。曜日別にミーティングの内容は異なりますけど、月曜日は“PDCAの日”という位置づけです。

朝から公共営業のミーティングや営業戦略会議、西日本営業本部の会議など、昼過ぎまでミーティングが続きます。マネージャーになって9カ月くらい経ちますけど、どうしてもミーティングは多いですね。



火曜日以降も、やることは割と決まっています。ただ、火・水・木のいずれかの2日間は午前中に「考える時間」を設けています。企画などをしっかりと考える時間ですね。

そして、残りの1日をプロジェクト運用の進捗管理の時間にあてています。

午後

午後も曜日別に異なりますが、月曜の午後は数字の確認などをしたのちに資料作成をしていることが多いです。

火曜日以降の午後は、外部人材のアドバイザーの方とミーティングがあったり、メンバーとのミーティングもあったりします。

あと、1日空きが出たときは営業の感覚を忘れたくないので、飛び込み営業に行ってますね。考える時間も大事なんですけど、市場のニーズなどとズレてしまったら意味がないので、ニーズを肌で感じるためにも現場を回るようにはしています。

夜は遅くまで残らずにすぐ帰ります。私は朝のほうが集中できるので、朝に仕事をするようにしていますね。

「午前中に考える時間を設けている」と言いましたけど、私は『考える』ことが大好きなんです。『考える』のは、朝や午前中のほうが向いてるんですよ。夜だと脳が疲れてますからね。

朝3時に起きて走り込み、受験に臨んだ

『考える』ことが大好きなのは、子どもの頃からでした。私は6人兄弟なんですけど、家族のなかにも多種多様な人間がいたので、常日頃、いろんな考えに触れることになりました。

でも、それがすごく嫌で、どの考えにも白黒つけたくなりました。だから将来は、「弁護士か検事になろう」と考えるようになったんです。そのために本を読んだり、たくさん勉強をしていきました。

そうしたら、私立高校の「特別進学コース」というところを薦められたので入ったんですが、『上位の成績の人は理系に行かなければならない』というルールがあったので、理系に進まざるをえなくなりました。


その後、大学受験をするわけですが、「勉強するにも体力が必要だ」と気づきました。夜遅くまで起きていないといけないので、体力がなければダメだ、と。でも私は体力がなかったので、朝3時に起きて4時まで近所を走り込むことにしました。

そして4時から6時くらいまで勉強して学校に行く。帰ってきたら勉強して翌朝3時には走りに行く。近所は坂が多かったので良いトレーニングになりました。そのかいあって、1回目の模試からずっと難関校のA判定を出すことができました。

ノーベル賞をあきらめ、個別指導塾へ

大学は「進学後にいろんなことができそう」という理由で九州大学の農学部を選び、『発酵科学研究室』というところに入って研究ばかりしていました。

誰よりも研究がすごく好きだったので、ずっと研究し続けましたね。数カ月くらい家にも帰らず研究室で過ごした結果、4年生に上がる前に修士論文を書けるぐらいの結果を出すことができました。

ただ、「このまま研究者として上を目指すなら『ノーベル賞』を取りたい。でも、それって何十年後になるんだろう……」と考えたら限界を感じました。そこで方針転換をしたんです。

「これだけ研究ができる環境に来れたのは、勉強ができたからだ。だったら、同じように子どもたちに選択肢を与えられる存在になりたい」と考え、個別指導塾を展開する企業に入社しました。

そして塾の講師になり、塾長をやり、マネージャーになり、全国30くらいの教室すべての統括をする立場にまで行きました。それが、27歳の時です。


ただ、個別指導塾の会社のなかでは限界が見えてしまいました。

塾での昇進をあきらめ、いざ派遣会社へ

その塾は同族経営で、社長も副社長も家族でした。なので、そこで上を目指していこうと思っても「定年までこの位置から上には行けないよ」と言われてしまったのです。「よし、じゃあ別の道に行こう」と、また方針転換です。すぐ転職エージェントに連絡しました。

エージェントに登録して、勧められた30社くらいをすべて受けました。コンサルや営業、医療系、学習サービスなど多種多様でしたが、そのなかで興味を持ったのが人材派遣のテンプスタッフでした。

なぜ私が人材派遣のテンプスタッフに興味を持ったか。それは塾が関係しています。塾の運営に携わっていると、正直、『ご家庭の稼ぎ』によって子どもの教育が変わってくるな、と感じていました。

たとえばお母様方がパートで働いていて「給料が安いんですけど、この金額で受けられる授業ってありますか?」などと聞かれることが多かったのです。

また、「子育てでキャリアがストップしていて、なかなか転職ができない」というお母様の話を聞いたこともありました。だから、『派遣』という働き方が広がったら世帯収入も上がり、子どもたちの選択肢も広がるんじゃないかと思ったわけです。


そうしてテンプスタッフを受け、無事に転職することが決まりました。そして私は、入社時に「最短でマネージャーになりたいです」と伝えたのです。

「スタッフには適切なお給料を払いたい」

テンプスタッフに入って派遣営業をはじめましたが、「今までの経験は生かせるな」と感じました。派遣営業という仕事は、スタッフとクライアント企業の2方向に意識を向けなければいけない点が一般的な営業とは異なります。

ただ、私は塾の運営に携わっている時に、子どもの『お母様』と『お父様』でまったく対応を変えていました。お母様からはお子さんにまつわる悩みを引き出していて、お父様には目標達成の道筋やコストなどを論理的に話していく、という感じに。それが、スタッフとクライアント企業の2方向に意識を向ける派遣営業と同じだったのです。


また、塾の時は『子どもには適切な教育を提供したい』という思いを持っていましたが、派遣営業になってからは同じように『スタッフには適切なお給料を払いたい』という思いを持ち、クライアントとの交渉にも力を入れていました。

その後、おかげさまで宣言していた通り最短でマネージャーになることができました。

私は単に上に行きたいわけではなくて、世の中が良くなるために何が必要かを常に考え、それらを形にできるような人間になりたいと思っています。

そして、同じように「世の中を変えたい」っていう人をたくさん育てたい、というのが根底にずっとある。そうなると、上に行けば行くほど多くの方を育てられ、多くの方を幸せにできると思うので、上に行きたいんですよね。

これからも持ち前の上昇志向を胸に、世の中を良くするために走り続けたいと思います。