これは、テンプスタッフフォーラムを通じて派遣社員として働きながら子育てをしている伊禮(いれい)さんのお話です。
伊禮さんは沖縄・宮古島で生まれ育つと、観光関連の専門学校に通うために沖縄本土へ移り住み、学校を卒業したのちにホテルへ就職します。
なぜホテル勤務の伊禮さんが現在、派遣社員として働いているのか。仕事と子育ての両立で苦労していることはないのか。詳しく伺っていきました。
伊禮さんは、沖縄の宮古島出身ということで。
そうなんです。宮古島から出て専門学校の観光科を卒業して、ホテルに就職しまして。ただ、ホテルは2年くらいで辞めてしまいました。
会社がなくなってしまい、つなぎで「派遣」へ
なぜ2年で辞めてしまったんですか?
思っていたより給料が安かったので、別の正社員の仕事に就くことにしたんです。
そうでしたか。その仕事は長く続いたんでしょうか。
いえ、コールセンターに勤めたり、営業の仕事に就いたり色々やっていましたね。その営業の会社では毎日数字で詰められてしまうくらい厳しかったんですけど、会社も経営不振で大変そうでしたので退社しました。その後、勤めていた沖縄営業所はなくなりました……。

え!それで、どうしたんでしょう。
「とりあえず明日から働ける場所を探さなきゃ」って考えて、たまたま見つけた派遣の仕事を始めました。テンプスタッフではないんですけど、“つなぎ”のつもりでしたね。でも、思ったより良くて。
何が良かったんでしょうか。
営業の時は遅くまで働いてて友達と遊ぶ時間も取れなかったんですけど、派遣だとほとんど定時で終わるので遊べるし、「夜も働けるな」と思って夜にコールセンターでバイトをしたり。
わあ、すごい。
時間もコントロールできるし、収入もあるし、「これは正社員よりいいかも」と思って。それで味を占めて3年くらい続けていたんです。ただ、その時に大変なことになりまして。
認知症の介護と就業先の消失で大変なことに
な、何ですか?
宮古島に住んでいる母が、「若年性認知症」になってしまったんです。買い物に行っても同じものばかり買ってしまうとか、家の周りを徘徊してしまうとか、昼夜逆転の生活をしてしまうとか。
それは大変ですね。
宮古島は離れているから常にサポートすることはできないんですけど、母の職場の人にお願いをして買い物に付き添ってもらったり、家のドアにセンサーを付けたり、親戚にサポートをお願いしたり、できることをやっていたんです。ただ……。
ただ?
病院の付き添いもあるので、月に2、3回はお休みをもらって飛行機で宮古島に帰ったりもしていたんですね。そんな時に、派遣で就業していた部署が閉鎖することになって。就業先がなくなっちゃうと。
ええっ!
それで、派遣会社に他の就業先を含めて相談してみたんですけど、やっぱり「毎月のように不定期で休みたいっていう人を紹介できる会社は、今はないですね」みたいな感じで言われてしまって……。
あらら……。
なので、とりあえず手っ取り早く仕事ができそうな求人を改めて探して、良さそうな庶務の求人が載っていた派遣会社があったので登録しに行こうと。それがテンプスタッフフォーラムでした。

派遣先の指揮命令者と合わず、子育てではパニックに
それで登録に。で、そのお仕事はできることになったんですか?
そうですね、幸いなことに。システム系の大手企業でしたけど、家族のことに関してはとても配慮があって助かりました。ただ、今度は派遣先の指揮命令者の方とどうしても合わなくて。
うわあ。色々とうまくいきませんね……。
ストレスがすごいので「もう無理だ」と思って担当の方に相談したんです。そうしたら、すごく親身になってくれて。自分のことのように色々と考えながら「うーん、でも今はここにいた方がいいんじゃないかな?」って言ってくれて。
それで留まることにしたと。
ええ。しばらくしたら、その指揮命令者の方も異動になったんですよね。で、そうこうしているうちに結婚して子どもができたんです。それ自体は良かったんですけど、母の介護が難しくなるな、と。
あ、妊娠すると時期によっては飛行機に乗れなくなりますよね。
そう、だからその間は妹2人に交代で見てもらっていたんですけど、なんだか自分が動けないことが歯がゆくて情けなくて。妊娠中も大泣きしてましたね。妹たちにすごく申し訳ないなと思って。
ああ……。皆さんで助け合いながら介護をされていたんですね。
一方で、子育ても想像以上に大変でした。子どもが2歳になるくらいまでは、もう本当に頭がずっとパニックで、「世の中のお母さんってすごいな……」と思っていましたね。でも、3歳ぐらいから派遣という働き方のおかげもあって、徐々に余裕が出てきて。
家族の認知症の介護は、限界の状態に……
そうでしたか。お母さまの具合はどうなったんですか?
その後、認知症の後半まで進んでしまって、だんだん歩きながら失禁とかも始まるようになってしまったんです。それで、周囲からも「もう一人で生活するのは無理でしょう」って言われて、限界を迎えてしまって……。

それで、どうされたんですか?
宮古島まで行って、冗談交じりに「旅行しよう」なんて言いながら無理やり飛行機に乗せて、沖縄に連れてきました。色々と施設を探したり、いろんな所に相談しに行ったりして、最終的には施設に入れました。
やっぱり一緒に同居して、というのは難しいんですか。
ええ、3秒に1回は外に出て行こうとするので、常に見ていないといけなくなっちゃうんですよ。施設の方にも「少し遠い関係性の人に見てもらいながら、皆で支えていこうっていうスタンスじゃないと、多分もう維持できませんよ」って言われました。
認知症の方の介護は本当に大変なんですね。
母もとても混乱していましたし、私も妹も精神的につらかったです。今は落ち着いたところなんですけど、だいぶ悪化していて歩くこともできなくなっていますね。記憶もほとんど維持できなくて、私が娘かどうかも2年前ぐらいから分からなくなっています。
子育てと介護を、なんとか両立させていった
介護をしながら、ご自身の子育てもされていて。
子育てのほうも、子どもが小学校に通うようになったらまた大変で。一人で小学校に通えなかったんです。正面玄関で大泣きしちゃって、門の中に入れないんです。

それはまた大変。
だから、しばらくの間、朝は教室まで一緒に行きました。そこでも一泣きしてから、ようやく私は出社できる、と。なので、毎日遅刻していました。毎日遅刻の連絡をするのもご迷惑になるので、就業先の人に時間をもらって相談をしたんです。
毎日のように遅刻する理由を説明して?
ええ。そうしたら親身になって聞いてくださり「大事な時期なので、できる限りお子さんに寄り添ってあげて」と励まされました。
わあ、すごく理解がある方!
そうなんです。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
それにしても、子育てと介護と、同時進行で大変でしたね。
大変でしたけど、本当に理解のある就業先で感謝しかありません。月に半分ぐらいは仕事に行かない月もありましたし、仕事中に電話しに行っても誰にも怒られなくて、逆に「大丈夫?」とか「子どもとお母さんとどっち?」みたいに声を掛けてくださるんです。
それは本当にありがたいですね。今は子育てもだいぶ落ち着いて?
ええ。それで、子育てを経験しているうちに、「保育士になりたいな」と思ってきたんです。

ただ、保育士って国家資格で、3年のうちに9科目の学科試験に受からなきゃいけなくて、結構難しいんです。
私は本当に、派遣じゃないと無理だった
9つの学科試験!……勉強するのも大変そうですね。
日中は派遣のお仕事をしているので、朝5時に起きて勉強していますね。6時ぐらいから仕事の準備を始めて、7時前に子どもを起こして。
わあ。時間の融通が利くとはいえ、過酷ですね。
私は本当に、“派遣”じゃないと無理だったんです。
確かに、正社員で働きながら介護・子育て・資格の勉強、となるとかなり難しそうですもんね。
だから、本当にテンプスタッフフォーラムを選んでよかったです。担当の方もいつも私の生活の状況や、私が置かれている立場を見ながら的確なアドバイスをくださって、ものすごく感謝しています。
それはきっと担当者も喜びます。お仕事のサポートができて担当者も本望だと思いますし。
いつも気にかけてくださって、「見てくださっている感」があって、常に安心して仕事ができました。だから、働いている子が愚痴をこぼしていたりすると、「だったらテンプスタッフに来て」って勧めるくらい(笑)

それはまた、ありがとうございます(笑)
テレビCMでテンプスタッフが流れた時も、子どもに「これ、ママが登録している会社なんだよ」って自慢してるくらい大好きですよ。