鈴木さん(仮名)は出産を機にお仕事を辞め、15年近くのブランクがあるといいます。長いブランクを経て派遣社員として働きはじめたのは、50代になってから。現在はテンプスタッフを通じて就業先に行き、活躍されています。

なぜ15年ものブランクがあるのか、そしてブランクからの復帰は現実的に難しいものではなかったのか。詳しく伺っていきました。

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派遣ママ:鈴木(すずき)さん(仮名)浜松在住。15年ものブランクを経て、現在は派遣社員として大手自動車メーカーに勤める。コールセンターをはじめ多くの業務を担当している。

鈴木さんは、15年近くブランクがあったと聞きました。

そうなんです。38歳くらいまでは働いていましたけど、そこからブランクが。

ラグジュアリーブランドの副店長として全国へ

それまでは、どのようなお仕事をしていたんですか?

長く勤めたのは、あるラグジュアリーブランドの販売員です。もともとはアルバイトとして浜松の百貨店で働きたいと思って登録に行ったんですけどね。

百貨店の登録からラグジュアリーブランドへ。

ええ。「販売職をやりたい」と言ったら、そのラグジュアリーブランドに行ってくださいと言われて。すごく不安でしたね。私、そのブランドのことを何も分からなかったので。

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だ、大丈夫でしたか?

元々そこの会社の社員は1人しかいなくて、「あとは皆、百貨店の社員だから大丈夫だよ」って言われて「じゃあ」ということで働き始めたんです。

なるほど。そういうものなんですね。

そうして働いているうちに、そのブランドから「アシスタントストアマネージャーを探しているんだけど、面接を受けてみませんか?」とお声をかけていただきました。

すごいじゃないですか!

ありがたいことでしたので、お受けしました。それで、ご縁があって社員になったんです。ただ、そうすると、店舗が全国にありますので、いろんなところに配属になるわけです。


ネギを担いで新幹線で通勤

浜松以外だと、どちらでしょう。

転勤は、札幌と名古屋に行きました。札幌に行く時くらいには結婚していたんですけどね。

わあ。どうされたんですか?

「札幌に行きたい」って夫に言ったら、「まあ子どももいないし、後悔するのも良くないから行ったら?」って言ってもらえて。それで、単身赴任という形で2年間行ったんです。

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で、その後が名古屋ですか。

名古屋勤務の時は「新幹線通勤でいいよ」と会社が言ってくださったので、浜松から通っていました。

新幹線通勤!それはいいですね。

いえいえ、大変でしたよ。仕事帰りに晩ごはんの買い物を名古屋でしていましたので、買い物バッグからネギが出ている状態で新幹線に乗って帰るという感じで(笑)

ネギを担いで新幹線(笑)

しかも「こんな感じで仕事を続けていたら子どももなかなか授からないな」と思って、結婚して7年くらい経った時に考え直しました。もう30代後半に入っていましたし。

子どもが欲しい、と。

15年近く専業主婦として子どもと過ごす

それで、仕事をスッパリ辞めました。女性の上司からは「子育てしながら勤めていたら?」って言ってもらいました。ですけど、環境的にも難しそうだと思ったんです。あまり器用でもないですし……。

じゃあ、スッパリと。

ええ。それで、仕事を辞めた直後の有給休暇中に子どもを授かったんです。38歳の終わりごろでした。

じゃあ、そこから15年近く子育てというか、専業主婦としてお子さんといる時間を過ごされたと。

ただ、私、家にいても「パーフェクトな専業主婦」っていうのがすごい苦手で。

それ、すごく分かります。私もです。

「ちょっとくらい部屋が汚れていてもいいんじゃない?別に死にやしないから」みたいな(笑)

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あと、家にいても別でやりたいことがあったんですよ。

やりたいこと?

『ジェルネイル』の資格を取って、自分の爪を綺麗にしてみたり、子どものお友達のお母さんに「やって」って言われたらやってあげたり。

ああ、いいですね。

他にも、自分の好きなことを習いに行って身につけて。それで、家でお教室を開いたりもしました。

わあ。“おうちサロン”のような感じですね。

子どもが進路を見つけ、私も「働こう」

そもそも、子どものために「家にいてあげる」っていうことが私の中での自分の決めごとだったんです。

なるほど。帰ってきたらちゃんと迎えてあげる、と。

そうです。お教室をやってても、ママはいる。そうして安心させてあげたいなと思っていて。だから、家で何かできることないかなって考えていきました。あとは、交流もお母さんたちだけになってしまうので。

そうなりがちですよね。

だから、好きなことを通じて色々な人とお話ししたり作ったり、というのも楽しいかなと思って。それでいろんなことを続けていましたね。

それで15年近く経って「働こう」と考えたのはなぜでしょう?

娘が中学2年生になった時に、自分の進路というか「こういう高校に行きたい」「こういう大学に行きたい」というのを本人が示してきたんです。

すごい。じゃあ塾にも通って。

そうです。塾に行くと帰りも遅くなったりするので、自分の生活もそんなに大変ではなくなりますし、娘に寂しい思いをさせることもなくなります。なので、「そろそろ働こうかな」って。

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50代で初めて派遣で働いたら現実は意外と……

“おうちサロン”はもう辞めてしまって。

あ、ちょうどコロナ禍がはじまった時期でもあって人と接することもなくなりましたし、娘の進路のことで私も色々と調べることが増えてきたので、あまりお客様も受けられないなというのもありました。

なるほど。じゃあちょうど良かったんですね。

そうですね。それに、50代になって老眼も進んできて指先の細かい作業も大変になってきましたし(笑)

(笑)。それで、復帰するにあたっては派遣を選んだと。

ええ、実は最初は別の派遣会社さんにお世話になりました。「15年近くのブランクがあるから、2カ月くらいの短期から試してみませんか?」っておっしゃってくださって。それで初めて派遣のお仕事を。

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不安もあったと思いますが、現実的にはいかがでしたか?

源泉徴収のデータチェックのようなお仕事でしたけど、一生懸命やっていたら意外に早く終わってしまいました。そうしたらその会社の別部署で「人が欲しい」ということで、続けて契約することになったんです。

別部署というのはどういったお仕事でしょう。

「業務推進部」というところなんですが、そこに異動して半年くらいした頃、「コールセンターをこれから作るからどうですか?」と室長からお声をかけていただきました。私自身、経験はなかったんですけど、お役に立てればと。

へえ!社内での引き抜きですね。よっぽど丁寧な対応だったんでしょうね。

派遣は自分のライフスタイルに合う仕事が見つかる

いえいえ。私はそんなつもりはないんですけれども、ありがたいなと思っています。それで3年間、お世話になりました。

その後にテンプスタッフですか?

そうですね。次にテンプスタッフを選んで、今も続いている感じです。

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じゃあ、派遣で働きながら、娘さんの学生生活にも寄り添って。

ええ、娘は浜松から遠方の高校に新幹線で通うことになったんです。

え! いつかのママみたいですね(笑)

そうそう。ちょうど浜松に帰ってくるのが18時20分くらいだったので、「浜松の市街地で18時ぐらいに終わる派遣先はないですか?」ってテンプスタッフの営業の方に聞いたら、「ありますよ」ってドンピシャのお仕事を紹介してくれました。

じゃあ、毎日お仕事帰りに迎えに行って。

そうです。自分のライフスタイルに合ったお仕事を探してくださるので、それも派遣の魅力ですよね。

今のライフスタイルにも合っていますか?

そうですね。娘は希望の大学に受かって東京に行きましたし、夫も働いていますので、今は私も仕事に集中させてもらっています。

どのようなお仕事をされているんでしょうか。

今は、大手自動車メーカーで『お客様サポート窓口』として、PC管理画面の操作方法のお問い合わせを受けたり、経理や営業のサポートをしたり、様々な業務を担当させていただいてます。多くの仕事を任せていただいて、すごくやりがいを感じていますね。

そうですか。鈴木さんの今後の活躍も期待していますね。ありがとうございました!

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