これは、テンプスタッフを通じて派遣社員として働いていた結城さんのお話です。

結城さんは、台湾出身です。29歳で来日して、その10年後にはテンプスタッフで派遣社員として働きました。そして現在は帰化して日本人になり、脱サラして飲食店をはじめているといいます。

結城さんがなぜ来日し、派遣で働き、日本人になり、飲食店を営んでいるのか。詳しく伺っていきました。

結城さんは台湾出身ということですが、台湾のどちらでしょう。

台北で生まれました。すみません、日本語があまりうまくなくて。

両親を失った孤独感で、自信のない子に

いえいえ、すごくお上手ですよ。家族構成はどのような感じでしょうか?

一人っ子です。ただ、私が1歳の時に父が亡くなって、4歳の時に母が亡くなりました。どちらも病気でした。

えっ……。それで、どうされたんですか。

親戚に引き取られました。母親側のおばあちゃんや、母親の兄妹である叔父さんや叔母さんに面倒を見てもらって。

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そうでしたか。そんなに早くからご両親を亡くされてしまうというのは想像を絶するんですが、何かご自身に影響はありましたか?

親戚はいましたけど、両親はいないわけですから孤独でしたね。ご飯も一人で食べることが多かったですし。

ああ。幼いですから、孤独感はすごくあったでしょうね。

ええ。そのせいか、人見知りで自信のない子になっていました。本当に誰とも喋れなくて、何かあればすぐに泣いてしまう子で。

さぞ寂しかったんでしょうね。

両親が残していたお金でなんとか学校には通えて、大学まで進みました。それで、日本のドラマが好きだったので、大学では日本語学科を選んだんです。

日本語でドラマが楽しめたらいいな、みたいな。

そうです。それで、大学3年生の時、千葉の大学に交換留学で1年間ぐらいお世話になりました。その時、すごく楽しくて「日本っていいな」と強く思いましたね。

そうでしたか。

「倒産した」「将来性がない」と、会社を転々

大学を卒業後は台湾にある日系の出版社に就職して、雑誌を作る部署にいました。上司が日本人の方で、一緒に働いていて楽しいなと思ったので「日本で働きたい」と思うようになっていきました。

それで日本に行こうと。

はい。叔父さんも「応援してるから、行ってきな」と背中を押してくれました。

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どんな会社に入ったんでしょうか。

機械製造の会社です。中国向けの営業をサポートするお仕事で、正社員として働きはじめました。ただ、色々と大変でしたね。9年間で4社を経験して。

え、転々としたってことですか?

そうです。4年半勤めた会社もあれば、半年で辞めた会社もあって。

そ、それは何が原因だったんでしょうか。

会社が倒産してしまったり、将来性がないなと感じたり、色々です。自分が「就職」というものに向いていないのかとも思いました。それで……。

それで?

その時に、資産形成の重要性に気づきはじめました。


脱サラをするために選んだのが「派遣」だった

資産形成。

ええ。もともと中華系の人は早くから投資に手を出します。私も親戚が株などを買っているのを見て、マネして5万円程度からはじめていました。やりながら「労働収入以外にも、こうやってお金は稼げるのか」と気づかされたんです。

だから、働いている時に、より「資産形成をしなきゃ」と。

そう、自分が安定的に働けていないことから「労働以外の収入も確保しなきゃ」と思ったわけです。いずれは「“就職する”以外のお仕事もできたらいいなあ」と考えながら、稼いだお金を運用していきました。

「“就職する”以外のお仕事」っていうのは、つまり独立をしようと。

はい、それで派遣を選びました。

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なるほど。独立の準備として派遣を選んだわけですか。

そうなんです。前の会社で派遣という働き方の存在を知って、それで「どうなんだろう」って調べはじめて。何社かに問い合わせをしましたけど、登録したのはテンプスタッフだけでしたね。

なぜテンプスタッフだけ?

他の会社は、問い合わせをした時の電話対応があまり親切じゃなくて。

そうでしたか。それで派遣で働きはじめたわけですね。

帰化して日本人になり、不動産投資も進める

ええ。最初は通訳のお仕事を3カ月やって、次の派遣先では国際認証のお仕事をしました。ただ、そこで「正社員になりませんか」と誘われて。

それで、どうしたんでしょう。

良い会社だったし「将来安泰かもな」と思って就職することにしました。独立の準備は一旦置いておいて。ただ、正社員として働きはじめたら大変でした。

何が大変でした?

部署に人があまりいなくて、あらゆる仕事を任されました。海外出張もあって、台湾だけでなく中国、香港、東南アジア、北欧と行き、国内も大阪から北海道まで何度も出張に。

わあ、それは大変。

人は良いんですけど、仕事量が多くて心身が苦痛になり毎日が憂鬱になってしまって。「やっぱりどこにいっても就職は無理だな」と思って、「また派遣に戻して脱サラ計画を進めよう」と思い直して4年で辞めました。

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じゃあ、過酷な4年間でしたね。

ただ、この時期に帰化して日本人になりました。それに、新しい資産形成をはじめていて。

新しい資産形成?

仕事をしながら、自宅を購入したんです。中古のマンションを。その近くにまた良い物件もあったので、融資を受けながら購入して、家賃収入を得るようになって。

おお、不動産投資ですか。

帰化して日本人になり、飲食店をスタート

ええ。それで12年くらいしたら「これでいける」と思って、また貯めていた資金と銀行からの融資で次はアパートに投資して、翌年にもアパートをもう1軒、と増やしていきました。

すごいですね!

正社員として働いていたからこそ、融資を受けられたところもあったかなと。正社員を辞めた後は、またテンプスタッフにお世話になって派遣社員として6年以上は働かせてもらいました。その間も不動産投資は続けていて。

なるほど。

そうやって不動産の物件を見ているうちに、「いつか自分の物件の1階で台湾軽食カフェ屋さんをやりたいな」と思うようになりました。入居者の方にも安く提供できて、皆さんに喜んでもらえるような。ただ、ちょうどいい物件がなくて。

1階が飲食店の物件を探していったと。

ええ。それと並行して飲食店の展示会を見に行っていたら、『淡路島バーガー』のフランチャイズに出会ったんです。それで、「これ、やりたい!」と思って。はじめはテイクアウトだけのお店にしようと思いましたけど、ちょうど見つけた物件が少し広くて座席も用意できました。

それで今のこの店舗ができたんですね。

そうなんです。コロナ禍の影響で3年くらい遅れましたけど、自分のお店を持つことになりました。

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おばあちゃん、叔父、叔母を失うことに

どうですか、ご自身でお店を持ってみて。

お客様から「おいしい」とか直接聞くことができて、やりがいがあるし楽しいですね。今までにはない面白さです。

それは良かったです。

派遣で働いていたからこそ、自分の時間を確保できたし、並行して脱サラの準備ができました。何かやりたいことがあるっていう人には、派遣はおすすめですね。

そう言っていただけて良かったです。それにしても、幼少期は「自信のない子」だったのに、今はすごいバイタリティですよね。

私の場合、子どもの頃から何もかも自分で決めなければいけなかったので、行動力が身についたのかもしれません。

それでも、脱サラに向けて怖さはなかったですか?

もちろん、安定した正社員を辞める恐怖はありましたし、今まで接客業をやったことがないので最初は怖かったです。

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でも、人生は一度きりですし、時間は有限なので、前向きに踏み込んで行動することが大事かなって。

わあ、素晴らしい考え。

それに、コロナ禍の時期に、おばあちゃんが老衰で亡くなって、叔父や叔母も病気で亡くなってしまって。

えっ……そうだったんですね。

台湾出身の女性だけど、私は挑戦を続けたい

ですので、本当に「人生そんなに長くはないので、やりたいことはやろう」と強く思うようになっています。

本当にそうですよね。結城さんが今「やりたいこと」は何でしょう。

「自分の物件の1階に自分でやる台湾軽食カフェ屋を入れたい」っていうのはまだ実現していないので、夢ですね。あと、いずれ「子ども食堂」とかもやってみたいです。

子ども食堂?

ええ。自分自身が子どもの時に「温かいご飯を誰かと一緒に食べたかったな」っていう思いがあるので、同じような境遇の子たちのために、そんな場所を作れたらって思っています。

それは素敵な夢だと思います。ぜひ挑戦して、実現させてください。

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はい。日本では女性の活躍がまだまだ少ないと思うんですが、優秀な女性はたくさんいらっしゃいますよね。私は台湾出身ではありますが、同じ女性として挑戦を続けていきたいと思っています。

結城さんの今後の活躍も期待しています。ありがとうございました!