これは、テンプスタッフを通じて派遣社員として働く須永さんのお話です。
名古屋で生まれ育った須永さんは、フリーランスのCADオペレーターとして働いていました。しかし現在は、東京で派遣社員としてCADのお仕事をしています。
須永さんが、なぜフリーランスで働くことになったのか。そして、なぜ派遣という働き方に変えることにしたのか。詳しく伺っていきました。
須永さんは名古屋がご出身ということですが、学生時代も名古屋ですか?
そうですね。学生時代から絵を描いたりモノを作ったりするのが好きで、商業高校に進んでいました。だから、事務職とかはあまりイメージがなくて。

離婚を機に、CAD業務から離れることに
手を動かすような仕事に就いたわけですか。
ええ。学校に来ている求人の中でも、工事会社とか建設会社とかが気になってましたね。それで、測量会社に就職してCADに触れました。
測量会社で図面を書くような感じですね。
当時はまだ手書きが主流の時代だったんですけど、ちょうど「コンピューターでもできるようになる」という時期でしたね。なので、手書きとPCと半々でCAD業務をしていました。
そうか、手書きの時代もあったんですよね。それで、何年くらい?
6年近く働いててすごく楽しかったんですけど、辞めることになって。
なぜ辞めることに?
早くに結婚していたんですけど、離婚することになって。それで引っ越すことになり、距離的に遠くなるので辞めるしかない、と。
そうでしたか。引っ越した先でのお仕事は?

不妊治療がうまくいかず、CADでの自立を画策
印刷会社の校正のお仕事とか、農協の受付窓口とか、単発の契約社員みたいな形でやっていました。それで、再び結婚もしたんですけど……。
けど?
不妊治療がうまくいかなくて、離婚してしまいましたね。
なんと……。それはまた大変でしたね。
ええ。当時はまだ不妊治療専門の病院も少なかったですし、病院に行くこと自体も「人から見られないように行きなさい」みたいな、そんな時代だったんですよ。
ああ、昔は今ほどオープンに語れなかったから苦しかったのではないでしょうか。
まさに、「もうここから逃げ出したい」と思っていました。ただ、実家を頼れる関係性でもなかったので、「もう一人で生きたい。とにかく自立したい」という感じですね。
それで、どうやって自立のプランを立てたんですか?
「手に職をつけて再スタートしたい」っていう考えがあって、自分自身を振り返った時に「やっぱり図面が書きたいな」って思ったんです。
なるほど。では、CADのお仕事に。
いえ、そう簡単ではなくて。離れていた間にCADの世界も進化していて、いろんなソフトが使えないと業界ではやっていけないことが分かったんです。それで、半年間CADの専門学校に通いました。

業界へ復帰し、フリーランスのCADオペレーターへ
そうなんですね。それでCADの専門学校に。やっていたお仕事はどうされたんですか?
仕事はキッパリ辞めて、集中して勉強しました。もう30歳になるし、これを逃したら年齢的にも遅れてしまうんじゃないかっていう焦りもありましたね。
じゃあ、半年後に卒業したら仕事を見つけていったと。
それが、仕事を探しても「ああ、もう30歳ですか……」っていう感じで年齢がネックになりました。今ならありえないですけど、その時は「これは厳しいぞ」と思って。
え、それでどうされたんでしょう。
幸いにも1社、専門学校の先生たちが紹介してくださったんです。「ここならどうかな?」って。ただ、そこは正社員ではなくて常駐型のフリーランスでした。「未経験の30歳でもとりあえず良いよ」ということで。
なんとか業界に復帰したと。フリーランスでの活動はいかがでしたか?
いやあ、大変でしたね。出来高だったので、収入も月5~6万になる時もあってバラつきがありますし、体を壊して休んでしまうと収入はゼロになってしまいますし。
全部、自分に返ってくるわけですね。
ええ。それでいて、会社の人との価格交渉も自分でしなきゃいけなくて。結構言い合ったりして、精神面でも擦り減ることが増えました。
そうか、価格交渉もしなきゃいけないんですね。

常に付きまとう不安のなか、40歳で東京へ
保険とか年金とか、将来的な備えにも不安がありましたし、頼まれた仕事を断ってしまったら「次はもう頼んでもらえないんじゃないか」っていう不安もありました。それでいて、常にスキルを磨いていかないと「必要ない」と言われてしまうという。
不安を抱えながらも進化が求められる、と。大変ですね……。
まあ、進化が求められるのはフリーランスに限りませんけど、よりシビアに厳しい目で見られていましたね。フリーランスが多く所属している会社でしたので、仕事も挙手制で取り合いになっていましたし。
うわあ、過酷な環境。
でも、そこで10年は続けることができて、自立したフリーランスらしくなっていきましたね。プライベートも充実して。
そうなんですね。
無理しないで付き合えるパートナーも見つかりましたし、30代でようやく青春を謳歌できた感じです(笑)
それなら良かったです。
ただ、また引っ越しの話が出たんです。
え?
パートナーが東京に行くことになって。
せっかく名古屋でフリーランスが板についてきたのに。

40代で初めての派遣。ようやく得た、自由と安定
でも、それはそれで面白いかな、と思いました。自分の中で「東京に住む」なんて発想はなかったですし、それが急に飛び込んでくるって、すごく面白い人生だなと。
すごくポジティブですね。変化を楽しむ、みたいな感じですか。
まさにそうですね。それで、「どうせなら違う業種の設計のお仕事でもやってみようかな」と思ってお仕事を探していたら、「派遣社員ってなんかいいな」と思ったんです。
どこが良さそうに見えましたか?
ある程度の自由がありそうなところですね。正社員で就職して縛られるのもイヤでしたから。あと、福利厚生もしっかりしているし、収入も安定していそうじゃないですか。
フリーランスでは色々と苦労されてきましたからね。
ええ。なので「派遣ってすごくいいかも」と思って、テンプスタッフともう1社に登録しました。ただ、もう1社のほうが何だかしっくりこなくて。すごく感覚的なんですけど、「なんか違うな」と思ったのでテンプスタッフからのお仕事紹介を待ちました。
そうでしたか。それで紹介されたお仕事に就いた、と。

はい。キッチンのメーカーで設計の仕事でした。良い人ばかりで安心感があって、気持ちに余裕がある状態で働けましたね。
フリーランスと派遣だと違いましたか。
すごい守られてる感じがありますね。時間の面もそうだし、価格交渉もやってくれますし。何かあれば営業の方に相談できますし、対応も優しいですし。
それは良かったです。
職場の変更やリモートワークも実現し、働きやすく
私のわがままも聞いていただいて、ありがたい限りです。
わがまま、というと?
派遣先がキッチンのメーカーでしたけど、フリーランスで10年やっていたのがオフィス業界で、「やっぱりオフィス業界が天職だな」と思えたので、「オフィス業界に行きたいです」とお願いして移らせてもらったんです。
派遣先の変更、ですか。

はい。あと、私の両親の介護が始まったんですよ。はじめは父で、その後に母も不調になって『ダブル介護』の状態で……。それで、有休を取って毎月のように名古屋に帰るようになったんです。
それは大変ですね。
その時に「なんで派遣はリモートワークができないの?」と思ったんですよね。リモートでも十分成果は出せるし、仕事を諦めたくないと思ってて。それで相談させてもらいました。まだコロナ禍の前だったんですけど。
それで、どうなったんですか?
職場の方もテンプスタッフの営業の方も、すごく前向きに動いてくださって、結果的に実現したんです。ノートパソコンを支給してくださって。本当に感謝してもしきれないくらいでした。
じゃあ、より一層働きやすくなった感じですか。
はい。楽しく働けていますね。仕事の内容も常に進化する業界だからすごく面白いですし、ずっとこうして働いていたいなって思っています。