これは、テンプスタッフを通じてスタッフとして働く窪さんのお話です。
窪さんは父親が創業した大阪の町工場で役員として働いていましたが、今は神戸市の『新型コロナワクチン接種会場』でスタッフとして従事しています。
では、どうして窪さんが『新型コロナワクチン接種会場』でスタッフとして働くようになったのか、探っていきました。
窪さんは、もともと町工場で働いていらっしゃったとか。
そうですね。父が大阪の守口で創業した会社なんですけど、小さな工場です。
両親から学んだ「他者に尽くす」ということ
何を作っている工場ですか?
印刷機械のプラントといいますか、輪転機なんかに使う部品ですね。そういった部品の製造加工をする工場でした。
今も守口で操業しているんでしょうか。
いえ、私が小学生の時に尼崎に移って、それからずっと尼崎です。兄が2人いるんですけど、家族全員で家族経営みたいな感じですね。
家族経営だと、ご両親から色々と教わりながら仕事をするんですか?
教わるというか、生き様を見て育った感じですね。
生き様?
ええ、昔から両親ともに「誰かのために仕事をしろ」みたいなタイプの人たちで。自分のことはいいから他人に尽くす、みたいな生き様を見ていました。だから、自然と「誰かのためになれるようになりたい」と考えるようにはなりましたね。
なるほど。そんな環境で、窪さんも経営に携わっていったと。
まあ、私は事務のお手伝いをしていたんですけども。ただ、両親が立て続けに亡くなりまして……
え!……
それを機に経理もお手伝いするようになって、役員として勤めるようになった感じです。
毎月の資金繰りに追われ、しんどかった日々
そうでしたか。そんな経緯が……。経営自体は順調でしたか?
いやあ、大変でしたね。町工場で、しかも中小企業ですから、毎月の資金繰りに追われていました。
常に数字に追いかけられる感じですか……
そうです。毎月「ああ、どうしよ……」みたいな感じで。そういうのが本当にしんどかったですね。
お仕事自体は楽しくはなかったですか?
ああ、私は経理みたいなコツコツと決まった仕事をするのが苦手なんですよ。頭を使って短期間でガッとやるタイプで……。夏休みの宿題も、毎日コツコツやらずに最後の2~3日で寝ないでガッとやる、みたいな(笑)
なるほど。そういうタイプなんですね。それで、工場はその後……
その後、上向きにはなっていきまして。そのタイミングで、兄が「事業を広くやっていきたい」ってことで、有限会社から株式会社にも変えることにして。
他者に尽くしたい、とテンプスタッフで登録
おお、そうですか。
その時に役員から抜けることになりました。それで、「もうお金に追われるんじゃなくて、もっと広く誰かの役に立つような公共性の高い仕事がしたいな」と思うようになって。
ご両親から学んだ「他者に尽くす」という考えですね。
ええ。それで仕事を探していたら、良さそうな仕事をテンプスタッフが扱っていて、それでテンプスタッフに登録したんです。
なるほど、それでご登録いただいて。
ただ、最初に希望した仕事は決まらなくて。そうこうしているうちにコロナ禍になったんですよ。
あらら、その時期でしたか。
その時に、神戸市の『特別定額給付金』のお仕事を見つけて、それで応募しました。
『特別定額給付金』というのは、コロナで困窮した家庭のために一律で10万円を配るというものですよね。
そうです。コロナをきっかけに収入が絶たれてしまった人も多くいましたから、そういった皆様に「少しでも早くお金を届けよう」というプロジェクトでした。
それは派遣スタッフとしてですか?
いえ、業務委託の案件なので「業務スタッフ」という位置づけですね。まあ、最初は派遣と業務スタッフの違いすら分からず飛び込んでいましたけど。
神戸市の「特別定額給付金」プロジェクト、始動。
実際にやられてみてどうでしたか。
プロジェクトとして動くので、最初にちゃんと研修があるんですよね。
研修ではどんなことを?
もちろん業務内容のレクチャーもあるんですが、いま執行役員でいらっしゃる藤原さんが本部長という立場で最初に『このプロジェクトの主旨』だとか『目的』を熱く話してくださって。

パーソルテンプスタッフ株式会社
第二BPO事業本部
執行役員本部長 藤原 理絵
熱かったですか。
ええ。「とにかく1日でも早く届けましょう!」「皆で一丸となってやりましょう!」って。それですごく熱い気持ちになって、この仕事への魅力もグッと感じましたね。
それは良かったです。どのような業務を担当されましたか?
最初は事務スタッフとして入ったんですけど、やっぱり電話がジャンジャンかかってくるんですよ。「いつになるんだ」「早くしてくれ」って。
市民の方からすると一刻を争いますからね。
コールのオペレーターはすごく不足していましたし、実際に電話を取っても電話口で差し迫った市民の方にバーッと文句を言われることもあったりして。それで「もう無理です……」ってリタイアする人も多くて、現場は過酷でしたね。
それは本当に大変そう……
それで、人が足りないから「窪さん、やってくれませんか」って声をかけられて。それでコール対応に行くことになりました。
過酷なお仕事に挑戦されたわけですね。いかがでしたか……?
簡単ではなかったですね。「振り込みはこの日になります」「ああ、そうですか」では済まない話ですし。いかに納得していただけるかが大事なので、とにかく話を聴くようにしました。
とにかく聴く。
ええ、私に話をしてもらって何かが変わるわけではないんですけど、「そうなんですね」って聴いてあげるだけで少しはスッキリする部分もあるのかなって。だから、結構長い時間お話しをすることもありましたね。何度もかけてくる人もいましたし。
そうでしたか。プロジェクト全体としてはどうでしたか?
設備とかが足りないなかでも工夫しながらやったり、業務で何か問題が起きればPM(プロジェクトマネージャー)の方たちが集まって真摯に問題解決に取り組んでいらっしゃったりする姿を見て、「すごい素敵な環境やな」と思ってました。
そして『ワクチン接種会場』の立ち上げへ
定額給付金プロジェクトの場合は、給付金を配り終えるまでの仕事ですよね。
そうです。最初は100人っていう単位からのスタートだったんですけど。最後のほうは受電もほとんどないですし、残務整理みたいな形で2人だけスタッフが残って。
そのうちの1人だったわけですか。
はい。それで、「今度、神戸市でもコロナワクチンの接種が始まるから、そのプロジェクトをやってみませんか」というお話をいただいて。そこから集団接種会場の立ち上げプロジェクトに入っていくことになりました。
なるほど。その流れで集団接種会場の立ち上げを。
ええ、でも最初は大変でしたね。厚生労働省がいろんなことを決めて、そこから自治体に降りてくる流れですから、神戸市の現場でもなかなか全容が見えてこなくて。
そうか、誰も経験がない仕事ですものね。
そう、「こうなりそうだよ」って聞いて動いても、翌日には変わっていることも多くて……。積み上げては崩れ、積み上げては崩れ、みたいなことの繰り返しでした。
大変ですね。始まってからは、いかがでしたか?
給付金の時もそうでしたけど、やっぱり工夫しながら進めていく感じでしたね。密を避けながらも、いかに多くの人にスムーズに接種してもらえるかを考えながら。
あ、でも頭を使って短期間でガッとやるお仕事は向いているんですもんね。
そうですね。まさに、そんな感じで仕事をさせてもらいました。今はエリアのリーダーをさせていただいてます。
エリアリーダー! 素晴らしいですね。
神戸市の集団接種だけでも16会場ぐらいあって、それぞれにリーダーさんがいらっしゃいますけど、さらに何会場かを担当するエリアリーダーを配置しているんです。もちろん人が足りなければ現場にも出ますけどね。
ママの働きぶりを見た、娘からの言葉。
普段は複数エリアを管理していて、忙しければ受付や配置担当もされる、と。
そうですね。先日も忙しくて、現場で配置を担当していました。あ、そうそう。ちょうどその日に私の娘がワクチン接種のために会場に来ていて、私を見かけたみたいで。
へえ、娘さんが。何か言われました?
ええ、あとで「ママ、すごい楽しそうに仕事をしてたね」って言われました。
楽しそうに! さぞ生き生きとお仕事をされていたんでしょうね。
なかなか業務委託で仕事をしてる様子なんて家族に見てもらうことはできないんですけどね。はたから見たら、生き生きとやってたみたいです(笑)
業務委託の場合はプロジェクト単位の仕事で派遣とはまた違った面白さがあるといいますが、窪さんには本当に合っていたんでしょうね。
そうですね。ひとつの案件を長期的に続けることはなかなかできないんですけど、社会への貢献だとかゴールだとかが見えやすいので、その点がすごく面白いなと思ってます。
これからも同じようなお仕事をしていきたいですか?
はい。業務委託っていう形の仕事が「すごくやりがいがあるな」って感じましたので、できれば同じように何かしらのプロジェクトに関わっていけたら、と思っています。