本記事では派遣営業の1日のスケジュールを通じて、派遣営業が日々「何を考えながら仕事をしているのか」を紐解いていきます。

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今回の派遣営業:木村 卓央(キムラ タカオ)2015年パーソルテンプスタッフ入社
所属:東京第一営業部 丸の内三課
勤務地:大手町(東京)
担当エリア:銀座・八重洲
担当スタッフ数:90名ほど(2022年10月現在)

派遣営業の1日木村 卓央の場合)

朝は8時前ぐらいに子ども2人を自転車に乗せて、保育園まで送っています。送ってから会社に向かうような感じですね。

ただ、最近はクライアント先に直行することも多いですし、午前中に在宅ワークしてから午後にオフィスに行くってことも多いでしょうか。コロナ禍以降、会社に出社するということが少なくなってきましたね。

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日中~帰宅

日中はクライアントとの打ち合わせや、職場見学、スタッフの方との面談などに行きますが、それ以外は出先や家でパソコンに向かって作業をしている感じです。

それで、17時半ぐらいには仕事を終えて、子ども2人を自転車で迎えに行きます。雨でも雪でも、毎日送り迎えには行っていますね。

18時ぐらいには家に到着して、妻が帰ってくるまでに子ども2人をお風呂に入れて、ご飯も作っておきます。時間がなくて作れなかったとしても、最低でもお米を炊くところまでは済ませて妻にバトンタッチします。

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「育休を取りたいんですけど」と言ってみた

子どもが2人いるんですが、育休も2回取っています。それぞれ産まれた時に取得した感じですね。

1回目は、テンプスタッフに中途入社して2年半後ぐらいのことでした。妻がまだ転職したばかりで、「産休は取れるけど育休は取れない」という状態だったんです。ならし保育とかやるためには誰かが見ていないと、という話になった時に、ふと思ったんです。「自分は男性だけど、育休取れるよね?」って。

普段からスタッフの方と接していて産休や育休の話はよくしていましたし、「派遣スタッフの方も取れるんだから、派遣営業も取れるよなあ」とも思って。それで、「どれくらい取得できるか分からないけど、会社に相談してみる」と妻には伝えて、マネージャーに相談したんです。「育休を取りたいんですけど」って。

そうしたら、「ああ、いいよ」という返事でしたね。あっけなかったです。希望の期間は伝えていなかったんですが、「1カ月くらい取れたらいいかな」と思っていました。でもマネージャーからは、なんと3カ月ぐらいでいいんじゃないかな」と言ってもらえたんです。仕事の単位が3カ月で進むものが多いし、休んだ後にすぐ戻れるような体制も考えてもらったうえでの判断でした。

「そのぐらいなら職場環境も大きく変わることはないだろうし、木村も戻りやすいんじゃない?」と言っていただけて、ありがたかったですね。

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連続で育休を取得。取れないと言われたことはない

1回目の育休から2年たったくらいに2人目が産まれて、2回目の育休を取得しました。マネージャーは途中で代わっていましたけど、情報は引き継いでもらえてて話はスムーズでしたね。「育休を取りたい」というと、「前ってどんな感じだったの?」と聞いてもらえて。それで、説明をすると「じゃあ、その時と同じ感じでいこうか」という流れでした。よく男性が育休を取れないという話を聞きますが、取れないと言われたことはないですね。

ただ、1回目との大きな違いはコロナ禍という点でした。1回目は何も気にせず外出ができましたが、2回目は緊急事態宣言の最中で……。家を出るといっても保育園の送り迎えと買い出しくらいで、ほとんど家にいましたね。あと、2回目の時は妻も育休が取れたので、上の子と下の子をそれぞれ分担して見ていた感じです。

2回の育休を取って思ったのは、自分は『主夫業』が結構向いているな、ということです。もともと学生時代から飲食のアルバイトをやっていたので、ある程度の料理は作れるようになっていたんです。

あと、飲食業って常に忙しいので、少しでも早くお客様に提供できることを考えて「何かをやりながら、別のことをやる」という生産性の高い動きが癖になっていましたね。それで、家事を効率よくできるようにもなっていきました。

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歌舞伎町の、“ちょっと特殊な”焼肉屋

「学生時代からやっていた飲食のバイト」というのは、歌舞伎町にある焼肉屋でした。ちょっと特殊なんですが、バーカウンター形式で「焼肉を食べながらお酒を飲みつつ、お店の人に話を聞いてもらう」みたいなスタイルの焼肉屋だったんです。まあ、歌舞伎町にしかないようなお店ですね。

客層も時間帯によってガラッと変わって、夕方17時に開店すると終電ぐらいまでは会社員が多いんです。そこから日付が変わると、キャバクラとかホストなどの水商売系の人たちが来ます。夜中の3時から5時ぐらいに少し落ち着いて、明け方の5時過ぎぐらいになると、近隣の飲食店の方や、二丁目のオネエさんたちが来るんです。そんな感じで客層がコロコロ変わりながら、ほぼ常に忙しいという変わったお店でしたね。

場所も歌舞伎町ですから、毎日のようにお店の周辺で何らかのトラブルがあったりして、「お祭り騒ぎ」みたいなことも多かったです。

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それで、大学を卒業してから「稼げそう」という気持ちで就職したのが、投資用不動産の営業でした。


トイレにも行けなかった、投資用不動産の営業

都心のワンルームの投資物件を売っていく、という不動産営業の会社に新卒で入社しまして。入社時は同期が20人ぐらいいたんですけど、ゴールデンウィーク辺りには半分くらいいなくなっているような過酷な環境でした。

ロールプレイング研修をずっとやるんですが、トーナメント方式になっていて優勝しないと研修が終わらないんです。現場にも配属されないので、ずっと研修を繰り返していました。

ようやく現場に出ることになっても、1500件ぐらいテレアポをすることになりました。マンガみたいな話ですけど、電話の受話器を持つ手にガムテープをグルグル巻いて、1日中電話を掛け続けるわけです。そんな人たちが10人くらいズラーッと並んでいる異様な状況のなか、日中はトイレにも行けませんでしたね。

月初に「何件契約」で「アポは何件」みたいな目標を立てて、1件でも未達が続いてしまうとペナルティーです。ペナルティーというのはつまり、給料を減らされてしまうんです。だから、土曜日にも出社して、つながりそうなところを考えては電話しまくっていました。

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それでも、体力的に長くは続かなかったですね。半年くらいで辞めてしまって、結局はバイトしていた歌舞伎町の焼肉屋に戻って、のちに正社員になったんです。それで4年間、焼肉屋の正社員として働いていました。


すべての経験が、今の『派遣営業』に生きている

今はテンプスタッフで派遣営業として働いていますが、これまでのすべての経験が今に生きていると思います。

不動産営業のハードな環境での経験は、仕事にも子育てにも役立っています。あの仕事より肉体的にも精神的にも大変なことはないと思いますからね。限界ギリギリの経験ができて、今となっては良かったです。

歌舞伎町の焼肉屋さんでの経験は、料理のスキルや生産性の高い動きだけでなく、コミュケーションスキルも磨かれました。いろんな客層のお客様と話をすることで、対人の幅を広げることができましたね。それから、多少の困りごとがあっても動じなくなって、どっしりと構えられるようにもなりました。

そして、テンプスタッフで2度の育休を経たことで、自分自身の幅がさらに広がることになりました。スタッフでも子育て中の方はたくさんいらっしゃいます。特に1人目の場合だと不安なことも多いと思うんですよね。でも私は、実際に自ら育休を2回取った経験から、リアルなアドバイスをすることができていると思います。

2度の育休取得を踏まえての私の経験談は、スタッフの方からも好評です。これからも、どんな相談や困りごとにも“どっしり”と構えながら、スタッフの方をサポートしていきたいですね。

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