これは、派遣社員である松浦さんのお話です。
松浦さんは、在宅のみで仕事ができるレベルのフリーランス翻訳者になることを目指して、今は派遣社員として化粧品会社で働いています。そんな松浦さんは、「テンプスタッフがなかったら、今の私はない」と言いきります。
松浦さんがどうして派遣社員として働きながら、フリーランス翻訳者を目指しているのか。なぜ「テンプスタッフがなかったら、今の私はない」と言いきるのか、探っていきました。
松浦さんは完全在宅のフリーランス翻訳者を目指しているということですが、昔から目指していたんですか?
いえ、そうではないですね。ただ、16歳くらいの時から海外には興味を持つようになって、1カ月くらい行ってみたいと思っていました。
ああ、長期の海外生活って憧れますよね。
ええ、大学でも英文学を専攻して勉強しながら、アルバイトでお金を貯めて。20歳で成人式を迎える時にも「着物はいらないから現金が欲しい」って両親に言ってお金を貯めるほどでした。
そこまでして貯金を!
初めて行ったイギリスで、「次は3カ月」と誓う
それで、行ったんですか?
20歳の時にようやく行きました。イギリスに1カ月です。
どうでしたか。初めての海外は。
切なかったですね。
え?
2~3週間くらいすると慣れてきて、現地にも友達ができて、楽しくなってきた頃に帰ることになったのが切なくて…… 「いつかもう1回、自分でお金を貯めて行こう!」「社会人になったら最低3カ月は海外に行ってやる!」って思いましたね。
そうか、1カ月だとそんな感じなんですね。それで、社会人になった、と。
はい。損害保険会社に社員として入社しまして、自動車事故の示談交渉ですとか、保険金の支払いとか、かなりタフなネゴシエーションが求められる仕事をしておりました。
自動車事故の示談交渉はハードそうですね。
ええ、それから結婚をしまして、夫が転勤族だったので「ひとつの職場にずっと長く勤めることは厳しいな」と思いまして、そこからアルバイトとか派遣社員として仕事を探していかないといけないなと思うようになりました。
じゃあ、結構早くから派遣会社には登録されていたんですか?
そうですね、複数に登録はしていました。でも登録だけで、社員として損害保険会社や法律事務所など、自動車事故と関連のある仕事をしたりしながら、相変わらずハードな仕事をやっていましたね。
翻訳の学校で、「1番下のクラス」からスタート
そうすると「海外への想い」は途絶えてしまったんですか?
「英語の勉強をしていきたい」とはずっと思っていましたけど、損害保険会社も法律事務所もすごく忙しかったので一時的に勉強を中断せざるをえなくて…… でも逆にお金は貯められるし休みも取れるので、年に1回ぐらいは海外に行ってました。
あ、年に1度は行っていたんですね。
ええ、それで「やっぱり英語が話せた方がいいよな」って毎回思いながら帰ってくるっていう(笑)
“海外旅行あるある”ですね(笑)
でも、そうして海外へのモチベーションは維持されていた感じですね。「3カ月くらいは行きたいな」とずっと思い続けながら。あ、それと翻訳の仕事もやるようになって。
翻訳の仕事、ですか。
はい。大学院で「運動生理学」を学んでいる友人から、「海外の専門書を訳してくれる人を探している」って相談されて、やることになりました。英語ができる人が少なくて自分はたまたま翻訳の仕事をいただけたんですけど……
けど?
訳そうとしたら英語力が足りなくて。
それで、どうしたんですか?
「翻訳学校に通おう」と思いました。そこで、学校の試験を受けてみたら、自分のレベルが恐ろしく低いってことが分かりまして…… まずは英語力を養いましょうっていうことで学校の1番下のクラスに通うことになったんです。
『テンプスタッフ・ワールドワイド・スカラシップ』に応募
お仕事はどうされましたか。
平日の週2回で学校に通うので、仕事は「週2回」で「英語に関わる仕事がしたいな」と思って。それで派遣で探したらテンプスタッフがピンポイントでいい職場を見つけてくれたんです。洋書を扱う商社での英文経理の仕事だったんですけど、「こんなことをやってみたかった!」っていうお仕事でしたね。
派遣で英文経理の仕事をしながら、週2回で翻訳の学校に通っていたわけですね。
ええ、そんな時に『スカラシップ』っていう制度のことを知ったんです。
あ、私たちがやっていた『テンプスタッフ・ワールドワイド・スカラシップ』ですね。
そうです。海外留学費にかかる学費と保険料などをテンプスタッフが負担してくれる制度で、「海外で夢や目標をかなえたい社会人であれば、誰でも応募可能」とあったので惹かれました。書類選考があって、選ばれたら面接でプレゼンして、8名が選ばれるということでした。
テンプスタッフの創業者である篠原欣子は、オーストラリアで人材派遣サービスに出会ったのを機に『テンプスタッフ』をスタートしたんです。その経験から、「新たな価値の創造を目指す社会人を応援します」という主旨で立ち上げた海外留学支援制度ですね。
パーソルテンプスタッフ公式サイト「沿革」より抜粋
松浦さんも、この制度に応募いただいたんですね。
ええ。アメリカだとインターンもできるので“9カ月間”でしたが、さすがにそれは家族に反対されました。他の英語圏だと、カナダとイギリスとオーストラリアがそれぞれ“3カ月”だったので「英語圏ならどこでもいいから行きたい!」と思いながら応募しました。
そうか、「次は3カ月くらい行きたい」って仰ってましたもんね。
はい。それで書類選考に通って面接へ行くことになりまして。毎年600~800名くらい応募があったと聞いていましたけど、不思議と緊張することもなくて。面接中も篠原さんと目が合った瞬間に、「あ、なんか私、選ばれる気がする」って思ったんですよ。
その直感はすごいですね。プレゼンの内容はどんな話をされたんですか?
大した内容ではなかったですけど…… 私はその当時に英検1級も持っていてそれなりの英語力があったんですけれども、とにかく「自信」がなかったんです。それで、なんで自分に自信が無いんだろうって考えたら、「英語圏に1度も住んだことがないから」じゃないかと思って。
リアルな英語に触れていない、と。
ええ、それで机上の英語ではなくて、現地の生活に触れたり世界の人たちのコミュニケーションを肌で感じたりしたいと思ったんです。そんな話をしたら、ありがたいことに選んでいただいて。オーストラリアに3カ月、行かせていただきました。
オーストラリアで気づかされた、自分の視野の狭さ
松浦さんも「8名」のうちの1名に選ばれたわけですね。いかがでしたか、オーストラリアは。
オーストラリアは移民の方も多いですし、自分が通ったシドニーの学校にもいろんな国の方が来ていました。ですから、とにかく視野が広がりましたね。
それまでは視野が狭かった?
はい。自分の中でなんとなく可能性を狭めていた感じがしました。まあ、ずっと何の苦労もなく30年ぐらい生きてきてしまっていたので、「違う立ち位置で世の中を見る」ってことを忘れていたな、と気づかされました。
大きな気づきがあったんですね。
ええ。それに、スイス・韓国・ブラジル・ドイツ、といろんな国の方と友達になって、その後もずっとやり取りが続いてますし、非常に大きな財産になりましたね。
そうですか。英語の習得という面ではどうでしたか?
行って1週間ぐらいで「オーストラリアイングリッシュ」にも慣れて、10日目ぐらいから毎晩、英語で夢を見るようになりました。
10日目で英語の夢を!
日本語を話さないようにしていたのが良かったと思います。英語で夢を見るようになると、もう日本語を通さないでいきなり英語で考えられるようになって。それは、語学を学んでいくうえでは1番大きな収穫でしたね。
では、留学の経験は「翻訳」にも活かせそうでしたか。
もちろんです。「言葉は生き物だ」ということもよく分かりましたね。やっぱり学校に行って机の上で勉強しているだけでは意味がなくて、もっと大切なことがあるなって。
学校での勉強より大切なこと、ですか。
はい。あくまでも言葉は『コミュニケーション』なので、どんなに難しいことを言っても相手に伝わらなければまったく意味がありません。日本人は「正しい」とか「間違ってる」というのも気にしすぎますけど、本来の“言語”って、「いかに伝わるか」が大切なんですよね。
確かに、そうかもしれませんね。
上のレベルの翻訳者を目指すために、また派遣を活用
留学を終えて帰ってきてからはどんな生活を?
その後も派遣で働いたり、東京の法律事務所で働いたり、転勤で名古屋に行って在宅フリーランスで翻訳の仕事をしたりしていましたが、現在もまたテンプスタッフにお世話になって。
今は、大手化粧品会社に行かれているとか。
はい。「週4日」という希望を出したらテンプスタッフがすぐに見つけてくれました。
なぜ、週4日が良かったんでしょうか。
一時期、在宅で翻訳のフリーランスの仕事をしていたんですけど、もっと上のレベルの翻訳者になりたくて英語の勉強をずっとしているんです。勉強時間の確保を考えると、どうしても週4日にしたくて。
なるほど、勉強とのバランスを考えてのことだったんですね。化粧品会社でのお仕事はどんな感じですか?
メインは「化粧品の箱などの製品周りや広告訴求が、輸出先の法規制を遵守しているか」のチェックをする仕事です。あとは社内のプレゼン資料を英語に翻訳したり、会議に呼ばれてチャットで同時通訳をしたりもします。
これまで培ってきた英語が活かされてますね。
ええ。お陰様で『無期雇用』にもなりまして、ありがたいです。
留学の経験が松浦さんの役に立ったようで良かったです。
本当にテンプスタッフの『スカラシップ』は、私にとって大きな転換点になりました。スカラシップに参加できていなかったら今の自分はありませんので。
そのお言葉は、私たちも嬉しいです。さらに上のレベルの翻訳者としてご活躍されることを楽しみにしていますね。松浦さん、ありがとうございました!