これは、「毛筆筆耕」という仕事を派遣社員として続けるスタッフ、中野さん(仮名)のお話です。

皆さんは「筆耕」という仕事をご存じでしょうか。毛筆によって表彰状や感謝状、慶弔や式典に関わる式辞や目録、宛名などを書く職業の人を「筆耕士」といいます。今回ご登場いただく中野さんは、筆耕士として筆耕のお仕事をずっと続けてこられた方。なぜ中野さんが、現在は派遣社員としてパーソルテンプスタッフを通じて働いているのでしょうか。探ってみました。

式典を全般に扱う会社で「筆耕室」の正社員として8年間

筆耕士として長く経験を積まれていると聞きましたが、いつ頃から「毛筆で書く」ということをはじめられたのでしょうか。

子供の頃から書道をやっていまして、検定試験に向けて練習したり、展覧会へ出品していました。その後、毛筆で書いていることを知る人から会社のロゴや、慶弔にまつわる書き物の他、実用書だけでなく芸術書も依頼を受けたりして、家でやっていた時期がありました。単発のお仕事ですけども。

フリーランスのような形ですね。

ええ、そうですね。書くことが好きだったので、「筆耕で働かせてくれる会社はないかな」と探していたところ、式典を全般に扱う会社に「筆耕室」という部署がありまして、そこで正社員として採用されました。

へえ、会社の部署として筆耕室というのがあったんですね。

20数年前の話ですが、当時はパソコンも携帯電話もなくて、式典を演出するのはすべて毛筆でした。看板、席札、式辞、表彰状など、すべてのものが手書きだったので、仕事はたくさんありました。業界でも有名な会社で、葬儀や結婚式といった大きなイベントだけでなく、映画のシーンに登場する文字などの依頼もありました。

すごい!映画のシーンに出てくる文字も書くんですね。

私も「わあ、一日中書ける仕事があるんだ」と嬉しくなりましたね。そこで8年ほど働いてあらゆるものを担当させてもらいましたが、時代の変化が訪れまして。

時代の変化、と言いますと?

その頃、「板書き」と言って板に文字を書いて、使い終わったら燃やしていたんですが、それが“二酸化炭素を出すから地球環境に良くない”ということになりました。それで、文字を入力したシールを板に貼って何度でも使えるような機械が導入されたんです。要するに、毛筆の出番がなくなるわけです。

書くことがあまり要らなくなってしまうと。

ええ、徐々に仕事の量も半分以下になっていきました。それで、これはもういよいよ筆耕の仕事もなくなる時代に来たのかなと感じました。

「筆耕」という文字だけを何カ月も探し続けました

それでどうされたんですか?

やはり書くことが好きだったので、「もっと書けるところに行きたい。筆耕士として成長できるところで働きたい」と考えて転職活動をしました。そして大手総合百貨店の本店での仕事を見つけたんです。

なるほど、百貨店だと掛け紙とかは毛筆ですものね。

そうです。そこで掛け紙のようなお客様向けの仕事や、秘書室から来る役員の方の慶弔の仕事も担当しました。それと、お詫び状ですね。

お詫び状?

ええ、お客様に何か大失態をしてしまったときに送るお詫び状は、当時は絶対に毛筆じゃないとダメでした。心がこもってないといけませんので。そういった需要もありました。

なるほど。そこで筆耕の仕事を引き続き担当されたと。

はい、15年やらせていただきました。お陰様でその百貨店では満期の形で、去年の4月に退職いたしました。

満期まで働かれたのなら、もう十分なのでは?

ええ、私も少し落ち着いてこの先のことを考えてみたいと思っていたんです。旅行や田舎暮らしを始めてみようかなとか、色んなことを考えました。ところが、世の中があまりに変わっちゃって。

あ、……コロナの影響ですね。

ええ……、もう世の中がストップして家にずっといるようになると「自分のこと」を考える時間が長くなりました。そして、やっぱり「誰かの役に立てる」ということがいかに幸せで、自分にとっての生きがいだったのか、ということに気づかされました。

まだまだ世の中のお役に立ちたい、と。

そういう気持ちがさらに高まりましたね。ただ、他の仕事も止まっている中で、毛筆筆耕の仕事なんてまず無いんじゃないかと思っていました。そもそも機械に取って代わられるような仕事だし、ほとんど無いに違いないだろうと。それでも「世の中の役に立ちたい」という思いがどうしても強くなって、探し始めたんです。

どうやって探したんですか?

「筆耕」っていうキーワードをひたすら検索にかけ続けただけです。働き方だとかお給料とかは条件に入れず、とにかく「筆耕」という文字だけを何カ月も探し続けました。

貴重な業務を残してくださって、書き手としてもありがたい

何カ月も探し続けたんですね。

ええ、それで3月のある日の夜中のことでした。はじめて「筆耕のお仕事」という見出しを見つけたんです。それがテンプスタッフさんの『ジョブチェキ』の求人記事でした。「大手航空事業会社での毛筆筆耕のお仕事」というもので、夜中だったんですが「わあ」って目が冴えました。朝まで掛かってエントリーを書きましたね。

朝まで掛かって!

ええ、「ここは逃しちゃいけない」と思いました。筆耕というキーワードで企業が募集を出しているのをずっと見たことがなかったですし、やりたい人は他にもいるだろうと思っていましたので。だから、「難しいだろうな」とは思いながらも、「明日じゃダメだ、今申し込まなきゃ」と考えて朝までかけて登録しました。

その後どうなりましたか。

翌々日に電話があって、「入力いただいた経歴の、前の経歴も教えて下さい」と言われて、何度かやり取りするうちに決まりました。

それがいまのお仕事ですか。

はい。大手航空事業会社で、筆耕の仕事をさせていただいております。書き物としては会社の慶弔に関わるもの、特に「金封」と言われる御祝いや御霊前などの「のし袋」関連ですね。あとは年間スケジュールが決まっている式典の目録などもあります。ただ、やり甲斐のあるメインの仕事は退職者向けの社長からの感謝状ですね。

感謝状!

昔は退職者へ手書きの感謝状を贈る会社はわりと多くありましたが、そういった会社がまだ残っていたんだなということに驚きました。会社に尽くしてくれた方への心からの感謝の証になりますし、ご本人にとっても一生の宝になりますから素敵ですよね。

確かに、長年勤めて感謝状をもらったら宝物になるでしょうね。

そんな貴重な業務を残してくださって、書き手としてもありがたいですし、尊敬できる会社だなと思います。

まずは基本通りに書き、お客様に要望を聞いて変化させていく

素敵なお話の後で恐縮ですが、ちょっと書いていただいてもよろしいでしょうか?

はい、いいですよ。どんな字を書きましょうか。

このメディアが『ハッケン・テンプ』なので「発見」という字をお願いしたいのですが。

では、まずは普通に書きますね。

うわあ、さすが……筆さばきも美しいです。

もう1つ書いてみましょうか。

え、いいんですか?

もちろんです。

今度は少し躍動している感じで書いてみました。

なるほど、また雰囲気が違う感じですね!

こうやっていつも、まずは基本通りに書いてから、お客様に要望を聞いて変化させていくことが多いんです。

今までの筆耕の経験を、すべて出し尽くしていきたい

いやあ、『プロの仕事』の凄みを垣間見た気がします。いまのお仕事で、なにか難しく感じることはないですか?

そうですね、今までの百貨店の仕事では、掛け紙としてお客様にお渡しするものが9割くらいでしたので、“最初の印象”を大事にしていたんです。

そうか、掛け紙は手元に残るものではないですからね。

ええ。ただ今度は社員の方に向けてずっと残してもらえる書き物なので、今まで以上に「しっかりと書かなければいけない」という気持ちが強くなりましたね。プレッシャーでもありますが、こういった仕事をさせていただけることが誇りでもあり嬉しいところです。

やはり嬉しさも強いですか。

どうしても時代の流れで、筆耕のような“文化的なもの”は削られてしまう仕事ですからね。それはそれで残念ではあるのですが、今は仕事があることが本当にありがたいです。

いままで筆耕のお仕事を正社員でやられてきて、今回は派遣社員としてですが、勝手が分からないとか、働きにくいということはないですか?

いえ、百貨店でお仕事をしている時、お歳暮やお中元の時期にはシフト作りもしながら派遣の方と協力して業務に当たっていました。

では派遣自体には馴染みはあったんですね。

はい。私自身が派遣として働くのは今回が初めてですが、テンプスタッフの担当の方にも「なんでもご相談くださいね」とやさしく言っていただいて、いろいろと相談にも乗ってもらったりして、とてもありがたいですし働きやすいです。

それなら良かったです。派遣として働きはじめて半年ですが、今後はどうしていきたいですか?

まずは1年間の業務を経験し、年間を通してどういった仕事があるのかをしっかり把握したいです。そのうえで、それらを迅速に正確に仕上げられるようになりたいです。あとは、現場でも「色々な仕事を任せたい」と言われていますので、できるだけ皆さんの期待に応えられるように、今までの筆耕の経験をすべて出し尽くしていきたいですね。

それはきっとお客様も喜ぶでしょうね。

いえいえ、こちらこそ筆耕の仕事を残してくださっていることがありがたいので、とにかくお役に立ちたいという気持ちでいっぱいです。

今後のご活躍も期待しています。中野さん、ありがとうございました!