人と話をするのが好きでポジティブな性格の鴇田(ときた)は、「誰かの役に立ちたい」と人材業界に憧れ、パーソルテンプスタッフに新卒として入社。しかし、すぐさま大きな戸惑いに包まれることになりました。

鴇田:入社年の2月にちょうどコロナウイルスが蔓延してきた影響で、楽しみにしていた入社式も直前で「無し」になってしまって。100名ほどいる同期とも顔を合わせることはありませんでした。ホテルも予約していたんですけどね……

新卒で休職し、派遣社員へ尽くすことを決めた鴇田

広域第一事業本部 北関東営業部 高崎オフィス鴇田 雄輝

群馬県の高崎が地元である鴇田。配属としては東京や神奈川、そして地元の群馬も希望に入れていたと言います。

鴇田:第4希望ぐらいで群馬を入れていたんですけど、それが通って高崎オフィス配属になりました。都内のオフィスだと同期が10人とかいるみたいですけど、高崎オフィスでは僕1人だけでしたね。

同期と顔を合わせることなく研修を終え、いざオフィスでの業務をスタートしてみても、鴇田は戸惑い続けていました。当時のオフィスの方針として営業を強化しており、それに戸惑いを覚えることもあったようです。

鴇田:自分は「人のために」という気持ちが先に立ち過ぎてしまっていたのか、数字を追うという姿勢になかなかついていけず、なんとなくモチベーションが上がらない状態で悶々としていました。

新卒で休職し、派遣社員へ尽くすことを決めた鴇田

さらに、他のオフィスの同期が『営業のロールプレイング』をしている様子を目の当たりにして、愕然としてしまうのです。

鴇田:僕は、“売り込む”ってことがもともとすごい苦手で…… でも同期がロールプレイングを上手くやっているのを見て、ものすごく落ち込んでいました。

「人のために」と入った会社で数字を追うことに戸惑い、そして見せつけられた同期との明確な差。そんな鴇田に、徐々に異変が起きていきます。

鴇田:家にいるときに仕事のことを思い出すと嫌な気持ちになっていきました。あと、日曜日に仕事用のシャツをアイロン掛けしていたんですけど、それすらも嫌になってしまって…… しまいには、通勤で電車に乗る際にも吐き気がするようになってしまいました。

新卒で休職し、派遣社員へ尽くすことを決めた鴇田

やがて発熱するようになり、胃が痛むようになり、会社を休みがちになった鴇田。さらに鴇田には、追い打ちをかけるような事情がありました。

鴇田:うちは両親と弟の4人家族なんですけど、仲がいいんです。でも、父がちょうど同じ時期に仕事が上手くいかなくて体調を崩してて、会社を休んでいたんです。だから、母にも余計に心配させるようなことになってしまって。なんだか、仕事とか家族とか、自分を取り巻くいろんなもののバランスが崩れていく感じがしましたね……

そんな鴇田に手を差し伸べたのが、先輩のコーディネーター、清宮でした。

広域第一事業本部
北関東・甲信コーディネートセンター
清宮 宏章

同じ北関東のオフィスということもあり、困っている人を放っておけない性分でもあり、コーディネーターの清宮は、鴇田のことを入社以来、気に掛けていたのです。

鴇田:自分が悩んでいるというのを知って、清宮さんが連絡をくれて。それで正直に話したんです。ちょっと仕事が合わないし、上手くいってなくてつらいですって。恥ずかしながら、話しているうちに大泣きしてしまいまして……

清宮は高崎オフィスにも掛け合ってくれ、しばらく休むことが決定。そうして1カ月ほど休職し、会社とも一切の連絡を絶って自分と向き合っていた鴇田。

鴇田:辞めるか……、続けるか……、と1人で悩んでいました。そんな時に、清宮さんから言われた「仕事は心でやるものだから」って言葉が気になっていて…… それでふと本屋に立ち寄ったら、まさに「心。」って書いてある本があったので思わず手に取りました。

京セラ・第二電電の創業や、JALの再建でも知られる稲盛和夫さんの著書、「心。」。そこには今の鴇田に突き刺さる言葉が書かれていたと言います。

鴇田:今までは「好きなことを仕事にするものだ」と思っていたので、上手くいかなくて好きになれずに傷ついていました。でも、この本の中に『全力を打ち込んでやり遂げれば、大きな達成感と自信が生まれて、好きになっていくものだ』って書いてあって。じゃあ、とにかくやってみようって考えるようになりました。

稲盛和夫『心。』 サンマーク出版

時を同じくして高崎オフィスの体制も変わり、オフィスの方針も営業色だけでなくスタッフフォローにも力を入れるなど変化がありました。そして1カ月が経ち、鴇田は復帰することに。

鴇田:オフィスのメンバーも温かく迎えてくれたので安心しました。特にスタッフフォロー担当の南保さんは「息子みたいに思ってるよ」って声を掛けてくれて…… すごく気持ちが伝わってきて、本当に救われる思いでした。

広域第一事業本部 北関東営業部 高崎オフィス南保 浩美

周囲の支えもあり仕事に復帰すると、同時期に父親も仕事に復帰。家族のバランスも整っていきました。そんななか全力で仕事に向き合っていると、半年後に転機が訪れます。

鴇田:前職でストレスを抱えてしまい、『手が震えてしまう』という症状が出ているスタッフの方を担当しました。その方に寄り添いながらサポートを続けて、職場見学にも同行しました。そうしたら無事に就業が決まったんです。その時に、初めてお礼のメールをいただいて。

鴇田さんが隣にいてくださったおかげで自分らしく応じることができました。
本当にありがとうございました。

ここ数カ月、自分でもどうしたんだろう、という状態でしたが、鴇田さん、テンプスタッフの皆さんのおかげで一歩を踏み出すことができました。感謝してもしきれないです。 テンプスタッフで働くことができて本当に良かったです。

鴇田:これが本当に嬉しくて…… 「こういうスタッフを増やしたい」って強く思うようになりました。それと同時に、「ああ、仕事が好きになるって、こういう感覚なのかな」って初めて思ったんです。

こうしてスタッフのことを考えられるようになっていった鴇田は、徐々に数字もついてくるようになります。そんなある日、コーディネーターである清宮から「紹介予定派遣の依頼」が来たのです。

鴇田:軽度の発達障害があるスタッフの方を担当してほしい、と言われました。3級の障害者手帳を持っているけど、前の職場ではそのことを隠していたそうで…… 落ち着かない面もあってか変な目で見られることもあって、つらい思いをされたということでした。

スタッフの方は、鴇田と同い年。人の痛みや苦しみを分かるようになっていた鴇田は、自然と力が入っていきました。

新卒で休職し、派遣社員へ尽くすことを決めた鴇田

鴇田:発達障害といっても、1つのことに集中する力はすごいんです。だから、そこをしっかりアピールしようって打ち合わせをしていましたね。スタッフの方の親御さんも仕事に就けるかどうかをすごく心配していたみたいでしたから、責任も感じていました。

競合他社は経験豊富でハイスキルな人材を紹介してきたようで、かなり厳しい状況ではあったと言います。しかし、全力でスタッフに向き合い、クライアントに熱心に推薦した鴇田。

鴇田:「確定です」って言われた時は、本当に嬉しかったですね。

鴇田の熱い気持ちとスタッフの集中力にクライアントの担当者も感動されたようで、形勢を逆転して確定。その結果は、清宮からスタッフの方へと伝えられました。

鴇田:ものすごく泣いて喜んでくれたみたいで…… 親御さんにも安心してもらえて良かったですし、清宮さんにも少しは恩返しができたかなって。まだ全然返しきれていないですけどね。

新卒で休職し、派遣社員へ尽くすことを決めた鴇田

そんな鴇田に、「仕事で大切にしていること」は何なのか、聞いてみました。

鴇田:やっぱり「心」ですね。目の前の仕事に心を込める。それがあるかどうかで、“作業”になるのか、“仕事”になるのかって違ってくると思うんです。

僕は1年目からつらい思いを経験しましたけど、スタッフの方が抱える痛みに心から共感できるポイントが増えたんじゃないかなって思うんです。そう考えると、これから“仕事”をしていくうえでは「あの経験も良かったのかな」って、今となっては思いますね。

<参考>
北関東・甲信コーディネートセンター / 清宮の記事
高崎オフィス / 南保の記事