これは、テンプスタッフを通じて派遣社員として働く澤田さん(仮名)のお話です。
京都出身の澤田さんは、滋賀県の美大に通っていましたが、現在は東京で声優の仕事をしながら派遣社員として働いています。
澤田さんがなぜ東京で声優の仕事をしながら派遣社員として働いているのか、なぜ東京に出てくることになったのか。探っていきました。
澤田さんはもともと滋賀県の美大に通っていたんですね。
ええ、映像クラスに入りまして、授業の中で自主制作の映画を撮ったりしていました。
憧れの“正社員”になるも、倒れてしまう
自主制作の映画ですか。
作品を作るためには脚本が必要になってくるんですが、そこで初めて「文章を書く」ということが面白いな、と興味が出まして。
なるほど、いいじゃないですか。
ただ、家庭の都合で大学に通えなくなってしまって、働くことになったんです……。
あらら、……それは残念ですね。
それで、文章を書く仕事をしたいなと思っていたら、京都の広告代理店でコピーライターを募集していたので飛び込んだんです。
なるほど、コピーライターとして働きだしたと。
ええ、はじめは新人の仕事としてラジオCMの制作を任せていただいて、CMの台本をメインに作っていました。
ラジオCMですか。なんだか楽しそうですね。
ただ、当時その会社では「制作の人間はみんな契約社員」という決まりだったので、段々と正社員に憧れるようになって。
それで、どうしたんですか?
お付き合いがあったクライアントさんから、「コピーライターを探しているんだけど」って誘われて。正社員として迎えてくれるというので、そのベンチャー企業に移ったんです。
なるほど、それでベンチャー企業の正社員に。
はい。ただ、本当に数多くの制作業務をする会社だったので、倒れるくらい忙しくて。最後は本当に倒れてしまいました。
え!
ベテラン役者との衝撃的な出会い
「この会社で30歳を過ぎても続けていく」という未来が見えなくなってしまって、「もう駄目だ、どうしよう……」と。
それは不安になりますよね。それで、どうしたんですか?
たまたま、先に辞めていた先輩が繊維メーカーで働いていて「うちで企画をやる人が足りないから、来たら?」と誘われて、行くことにしたんです。
それで繊維業界に。
そこで、市場調査から、ブランドの立ち上げ、販促物やウェブサイトの制作、フェアの企画から、ディスプレイまで、何から何まで仕込んでいただきました。
おお、充実していったんですね。
そうですね。大学時代から付き合っていた方と結婚もしましたし、10年以上は勤めました。それで、あるとき社内で「社員がラジオCMを作る」という企画がありまして。
あら、新人の時にやっていた仕事ですよね。
そうなんです。それで、参加メンバー皆で考えたある原稿で「おばあさん」が登場するCMがあったんです。
「おばあさん」が登場するラジオCM。
ええ。それで実際の収録現場に行ったら、驚くことがあって。私はてっきり若いナレーターの方が「おばあさん」の声も出されるのだと思っていたんですけど、ちゃんと「おばあさん」の声を担当する役者さんがいらっしゃって。
へえ。その役者さんも「おばあさん」なんですか?
はい、おそらく70代半ばくらいの方で。でも、絶対に「現役」なんですよ。それで「これはすごいことだぞ」と衝撃を受けて。
20年後のベテラン声優を目指して、養成所へ
70代半ばくらいでも現役で仕事をされている、と。
そう、私も以前から「何かをずっとやりながら働いていたいな」と思ってて。それで、『第二の人生』の候補として「声優」はアリかもしれないぞ、と。
そこで声優を目指すように。
それだけじゃなくて、ちょうど同時期に会社で「副業解禁」が言い渡されまして。
おお、「副業解禁」ですか。
ただ、私は企画職なので、手に職がないわけですよ。だから「副業」って言われても、何もすることがないな、と。
デザイン職とかだったら分かりやすく副業ができそうですけどね。
そうなんです。それもあって、急激に「第二の人生で何をするかを今のうちに考えておかないと駄目だ」って思うようになったんです。
それがおいくつの時ですか?
その時で40歳を過ぎていました。でも、「どんな事も20年もやればその道のプロになれるんじゃないか?」と常々思っていたので、60歳の時にはベテランの声優になれるんじゃないかって。
すごい。60歳でベテラン声優になるために活動を開始した、と。
はい。まずは週1日、大阪にあった声優の養成所に通うことにしまして。夫にも、「自分のお小遣いで行くから、一切迷惑はかけないのでやらせてほしい」って言ってOKをもらって。
大阪の声優養成所に通った、と。
そもそも40歳を過ぎて入らせてもらえるのか心配でしたけど、「今まで来られた方のなかでは最高齢です」って言われながらも、無事入らせていただけました(笑)
40代で最高齢ですかあ(笑)
入所の際には「あなたがもしアイドル声優目指しているなら絶対に無理なのでお断りします」って言われました。養成所の方がとても正直に、業界のことを教えてくださって。
なるほど。
だけど私は、60代でのベテラン声優を目指していましたから、アイドル声優には興味がなくて。
そうですよね。
声優事務所の査定を受けて、東京へ
それで通い始めたんですけど、1年目が終わる時に査定がありまして。声優事務所の社長さんとかマネージャーさんとかが集まって、その前でやるんです。
ちょっとしたオーディションみたいな感じですね。
はい。テストに受かった際に、今の事務所の社長さんから「2年目のレッスンは東京に来てやってみなよ」ってお声がけをいただいて。
え、それってすごいことでは?
いや、その歳で本気で目指している私が珍しかったんだと思います。ただ、そのおかげで“声優見習い”のような形ですけど、東京に行けるという話が出て「これはチャンスだ」と。
でも、京都にご夫婦で住んでいらっしゃるんですよね。
そうなんです。夫には「どうしよう」っていう相談をしまして。「まあ、いいんじゃない? ……でもなあ、うーん……」みたいな煮え切らない感じだったんですけど。
まあそうですよね。夫婦で離ればなれになるわけですから。
でも、そこでお義母さんが「いいじゃない。風が来てるんだから絶対に乗ったほうがいいわよ」って背中を押してくださって。それで東京に出て行くことにしました。
週に4日は”声優のための時間”に費やすため、派遣社員に
勤めていた会社はどうされたんですか?
東京支社に移ることも模索しましたけど、結局かなわなくて、致し方なく辞めました。それで、東京に部屋を借りて。
背水の陣ですね。東京には1人で?
いえ、同じ養成所の2年先輩の女性と一緒に共同生活ですね。2年先輩といっても、歳は20も下の子ですけど(笑)
20歳も離れた子と共同生活ですか。仕事はすぐに見つかりました?
いえ、そこから当然のように困窮しまして。しばらくは知り合いの方を頼って仕事を探しながら「もやし」を食べ続ける生活が続きました……。ちょうどコロナがひどくなる時期でしたけど、何かをして働かなきゃいけない、と。
それで、どうしたんでしょうか。
「派遣社員として働こう」って思って登録をしました。繊維メーカーの時に派遣社員の働き方は知っていたので。それで、最初に登録したのがテンプスタッフでした。特に会社を決めていたわけではないですけど、条件は指定して探していましたね。
どんな条件でしたか?
もともと「週3日ぐらいしか働けないな」って思っていて。演技や発声レッスンの時間もありますし、いろんな作品に触れる時間も大事だと教わったので。あと、たまに声優のお仕事もいただくので、そのための準備もしなきゃいけないので。
週に4日は声優のために費やしたかった、と。
そうですね。そのバランスを考えて「週3日は派遣社員としてきっちり働こう」と思っていて。それで、テンプスタッフから大学事務のお仕事を紹介していただけたんです。
「毎日笑いながら働きたい」を、派遣で実現
そうですか。声優のお仕事は具体的にどういったものでしょうか?
私は、吹き替え作品に登場する「おばあさん」や「おばさん」の役をさせていただく機会が多いです。
わあ、まさに最初に衝撃を受けた原点ですよね。
そうなんです。考えてみたら、同期の子は20歳前後ですし、かわいい子もいっぱいいるわけで、若くてかわいい声を私が無理して出しても、本物には勝てない。同じような土俵で戦っても仕方ないなと。
なるほど。その子たちができないものをやろうと。
はい。しかも私がラジオCMの時に見た「おばあさん」役のベテラン役者さんって、単価も高いはずなんですよね。だから、「新人のギャラなのに、おばあさんの演技や声ができる」となれば、雇う側としてもお得じゃないですか。
確かに!
なので、そこを狙った方がいいなと思って私自身も練習に力を入れています。おかげさまで今の事務所では、たくさんいらっしゃる役者さんの中で「おばさん・おばあさん役と言えば」で思い出していただけるようになってきました。
わあ、素晴らしい戦略ですね。派遣の仕事のほうはいかがですか?
私、多忙で倒れたりしたこともあって「毎日笑いながら働きたい」って思っているんですけど、まさに今、週3日の仕事は楽しくて仕方ない感じです。
それは良かったです!
周りの方もすごくいい方ばかりで、良い環境のところを紹介してくださって本当に感謝しています。「こんなに楽しく働けてバチが当たらないかな」って思うくらい(笑)