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(情報掲載日:2018年12月10日)


百人一首は広く知られている伝統的な文化です。学校では国語の教材としても使われていますが、最近では漫画や映画の影響も受けて、競技かるたとしての注目度も高まっています。そんな百人一首の和歌を改めて思い出して、温故知新、お正月に楽しんでみませんか。

●どんな歌集なのか

百人一首とは、「五・七・五・七・七」の31文字からなる和歌を一人一首ずつ、百人の作品をまとめたものです。詠んだのは、古くは飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳天皇まで約550年の間に生きた天皇、貴族、僧侶たちです。勅命により編纂された勅撰和歌集「古今集」「新古今集」などの中から和歌は選ばれており、1235年(鎌倉時代末期)に完成しました。
主題になっているのは、恋を詠んだものが一番多く(43首)、次に四季が続きます(32首)。四季の中では半数を占めるのが秋です。

百首を選んだのは、新古今和歌集の選者の一人としても知られている、たくさんの名歌を残した歌人・藤原定家です。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍し、勅撰和歌集に載る歌は465首にものぼります。定家が、京都にある別荘「小倉山荘」の襖の装飾用に貼る色紙サイズの紙1枚に1首ずつ百首を書写したことから「小倉百人一首」とも呼ばれています。茶道が広まった室町時代にはこの色紙を茶室に飾ることが流行し、豊臣秀吉や千利休も所持していたと言われています。

●どう読み継がれてきたのか

室町時代に、連歌師(連歌は和歌の一種)である宗祇(そうぎ)が百人一首を教科書として使って弟子たちに和歌を教え、解説本も著しました。これを機に「和歌の入門書」として、広く知られるようになります。宗祇の後にも何冊もの解説・研究本が書かれており、現在でも数え切れないほどの関連書籍が出版されています。

上の句の「五・七・五」を読み札、下の句の「七・七」の下の句を取り札とする「かるた」としては、平安貴族の遊んだ「貝合わせ」が発展した形で戦国時代に宮中などで楽しまれるようになったのが始まりです。初期のものは札が手書きであるために高級品でしたが、江戸時代に木版画技術の普及により量産が進み、庶民が楽しめる遊びとして普及していきました。

明治時代に入ると「かるた」は「競技かるた」としても盛んになり、今では「競技かるた」を題材にした漫画や映画をきっかけに広く親しまれるようにもなりました。毎年1月には名人戦・クイーン戦、夏には全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会など各地でいろいろな大会が開催されています。
また、学校教育法の改定により、2011年春からは小学生の国語の教科書にも百人一首が掲載されるようになりました。

●さまざまな遊び方

「競技かるた」は、読み手が上の句を読み上げ、それに合う下の句の札を取る速さを2人で競う遊びです。始めに100枚の札を裏向けにして混ぜたままで25枚ずつ取り(使わない空札が50枚残ります)、それぞれが自分の目の前、自陣と敵陣に表に返して並べます。読み手は100枚の上の句の札を読み、2人は50枚の中から下の句の札を手で払うように素早く取ります。
敵陣の札を取った時には「送り札」として、自陣の札1枚を渡して敵陣に並べ、取り札を間違えた時は「お手つき」として、敵陣から札1枚が渡され自陣に並べます。自陣の札を早くゼロにした人が勝ちです。試合開始前の15分間は札の配置を記憶する時間が与えられるため、記憶力と瞬発力アップに役立つと言われています。
攻略のためのポイントは「決まり字」です。これは、上の句が一定の文字数まで読まれるだけで下の句の札が確定できる文字を指します。上の句の1〜6文字で下の句が限定される「決まり字」のある和歌を暗誦しておくと、下の句が探しやすくなります。まずは、上の句が1字だけで下の句が決まるという、「む」「す」「め」「ふ」「さ」「ほ」「せ」で始まる7首から覚えましょう。

「散らし取り」は、一般的なかるたと同じように何人でも楽しめる遊びです。100枚の札をバラバラに散らして置き、読み手が上の句を読み、取り手が下の句を取ります。100枚全てを読み、最も多く札を取った人が勝ちです。

「坊主めくり」は、和歌を覚える必要がなく、絵札だけを使う遊びです。100枚の絵札を裏返して積み札として置き、参加者が1枚ずつ順に取って自分の持ち札にしますが、坊主の絵札が出た時には持ち札を全て積み札の横に差し出し、女性の絵札が出た時には積み札の横にある札を全てもらって自分の持ち札に加えます。積み札がなくなった時点で、最も多くの札を持っている人が勝ちです。

●歌に含まれる意味

歌人たちは和歌の表現のために、たくさんの技法を駆使しています。知っておくと鑑賞の楽しみがぐんと広がります。代表的な技法は次の3つです。

「掛詞」は、同じ発音を持つ言葉を用いて複数の意味を持たせる技法です。
例えば、「おとづれて」という言葉に「訪れて」と「音づれて(=音を立てて)」という2つの意味を掛け持たせます。これによって、31文字の中に込められた思いの奥深さを感じることができます。

「枕詞」は、特定の言葉の前に置いて語調を整えたり情緒を加えたりする技法です。 例えば、「神」「社」などの前には「ちはやぶる」、「光」「天」などの前には「ひさかたの」という枕詞を置きます。もともとは「枕詞」自体にも意味があったものの一般的に現代語訳では訳しませんが、意味合いやイメージを思い描いたり、言葉のリズムや響きを楽しんだりすることができます。

「歌枕」は、名所や旧跡を使って特定の名前や風物、感情表現を導く技法です。歌人が実際に行ったり見たりした場所とは無関係とされています。
例えば、「宇治山」「吉野」「須磨」などが詠まれています。その地にある言い伝えや光景を連想しながら、和歌に含まれた感情を想像することができます。

●著名な人物の詠んだ百人一首

歴史上よく知られている人物の詠んだ和歌を紹介します。他にも「枕草子」の著者・清少納言、「土佐日記」の著者・紀貫之が詠んだ歌など、数多くの著名人の作品が選ばれています。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

(藤原定家)

※作者:「百人一首」「新古今和歌集」などの選者。鎌倉時代の歌人。
※意味:やって来ない恋人を待って、あの松帆の浦の海岸で夕なぎの頃に焼いている藻塩のように、私はあなたへの思いに身をこがしています。
※表現:「まつほ」は「待つ」と「松帆(地名)」の「掛詞」です。

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

(紫式部)

※作者:小説「源氏物語」を書いた平安時代の女流文学者。
※意味:久しぶりに巡り会って見たのが、あなたなのかどうかもはっきりしないうちに、姿を隠してしまいました。まるで雲に隠れてしまった夜中の月のように。
※表現:1字だけで下の句が決まる「決まり字」の歌です。

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

(柿本人麻呂)

※作者:宮廷に仕えて天皇や皇族に歌を捧げた「万葉集」の代表的歌人。
※意味:(夜は独り寝するといわれている)山鳥の長い尾のように果てしなく長い秋の夜を、私は恋しい人に会うこともできずに一人寂しく寝るのでしょうか。
※表現:「あしびきの」は「山」に掛かる「枕詞」です。

●よく知られている覚えやすい百人一首

教科書にも掲載されているような和歌を紹介します。一部だけでも耳にしたことのある和歌は覚えやすいものです。

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

(小式部内侍)

※作者:多くの和歌を詠んだ和泉式部(百人一首にも選ばれている)の娘。 ※意味:大江山を超えて行く生野の道のりは遠いため、私はまだ天の橋立に行ったこともありません。もちろん母の手紙も見ていません。(母の和泉式部に作ってもらったのだろうと言われ、それに応えて詠んだ和歌です。) ※表現:「いく野」は「行く」と「生野」、「ふみ」は「踏み」と「文」の「掛詞」です。「天の橋立」は京都府にある日本三景の一つで、「歌枕」です。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

(蝉丸)

※作者:琵琶の名人であり法師。
※意味:これがあの(有名な)、都から東国へ行く人も都に帰って来る人も別れ、互いに知っている人も知らない人もここで出会うという、逢坂の関なのだなあ。
※表現:「逢坂」は「逢坂(地名)」と「逢う」の「掛詞」です。また、滋賀県にある地名で、「歌枕」でもあります。

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

(持統天皇)

※作者:天武天皇の皇后で、その後に即位した女帝。
※意味:いつのまにか春が過ぎて夏が来てしまったようです。夏になると白い着物を干すといわれる天の香具山よ。
※表現:「白妙」は「衣」に掛かる「枕詞」です。

百人一首は何百年にもわたって読み継がれてきました。時代が変わっても変わらないような、現代を生きる私たちにも共感できる思いが綴られているところが大きな魅力といえます。百首に接しながら、いにしえの百人の胸中に思いを馳せてみませんか。

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