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(情報掲載日:2015年11月10日)

いまを勝ち抜く人間力

龍馬に学ぶ〜よりよく生きる6つのヒント

VOL.46

坂本龍馬は、今年、2015年11月15日に生誕180年を迎えます。高知県の桂浜に立つ龍馬の像も、ちょうど米寿(88年)です。尊敬する人物として、経営者や政治家たちからも名前がよく挙げられる彼の生き方から、人間力を磨くヒントをご紹介します。

3分で分かる「龍馬とはどんな人物か」

●龍馬の生い立ちと時代背景

龍馬は土佐藩(現在の高知市)に、武士の中でも身分の低い下士の次男として生まれました。江戸への遊学が叶って道場で剣術を学んでいた19歳の時、ペリーが率いる黒船来航を浦賀で見て衝撃を受けます。その後、アメリカでさまざまな学問を修めたジョン万次郎から西洋の話を聞いたり、最新の西洋式砲術を教えていた佐久間象山から学ぶことで、西洋と日本との差をいっそう思い知るようになっていきます。
同じ時期、江戸幕府は開国を迫られて、日本に不利な日米和親条約や日米修好通商条約を止むなく締結しました。続いて、それに不服な者と幕府の間で、安政の大獄、桜田門外の変などが起こります。つまり、龍馬が生きた江戸末期は、幕府の弱体化と海外からの圧力の高まりが露わになっていく時代だったのです。

●龍馬が成し遂げた偉業

33年という短い生涯の中で、龍馬は3つの大きなことを行いました。1つ目は「亀山社中」の創設です。のちに「海援隊」と改名されたこの組織は、先進的な航海術や砲術の知識を身に付けた仲間で構成されており、海外から輸入した最新の武器などを船で運搬・販売していました。これは、海軍を兼ねた日本初の商社であり、株式会社だったと言われています。
2つ目は「薩長同盟」の仲立ちです。権威が低下していた幕府に対して大きな存在感を示すことになる協力体制ですが、薩摩藩と長州藩はそもそも敵対関係にありました。不可能だと考えられていた合意を龍馬は実現させたのです。
3つ目は、江戸幕府から政権を天皇に返上させる「大政奉還」への尽力です。これは、幕府が誕生した時のように、戦によって政権を移管させたわけではありません。徳川家康から約250年も続いた政権を、血を流すことなく朝廷に戻させた点が評価されています。

●龍馬と接点のあった歴史上の人物

これらの偉業は、もちろん龍馬一人の力によるものではありません。龍馬は、多くの人から影響を受け、そして多くの人に影響を与えました。その中には歴史上の有名な人物も少なくありません。例えば、咸臨丸の艦長として渡米した勝海舟に龍馬は弟子入りし、西洋事情や世界視野で日本が目指す姿などを学びました。幕末の四賢候として名高い松平春嶽からは、幕府による専制政治ではなく、朝廷や多くの藩が参加して審議するという公論政治の思想に感化されたと言われています。
逆に、龍馬から影響を受けた人としては、薩摩藩と長州藩、それぞれの代表格であった西郷隆盛と木戸孝允(桂小五郎)、のちに三菱財閥を築いた同郷の岩崎弥太郎などが挙げられます。藩にも所属せず肩書きもない一介の脱藩者という龍馬の当時の立場を考えると、よほどの言動や魅力があったからこそ、周囲を動かすことができたのだと言えます。


〈自分自身〉の考え方や行動のヒント

●ヒント1 柔軟に考える、他人の視線を気にしない

私たちにヒントを与えてくれる龍馬の姿勢として、真っ先に挙げられるのは、柔軟性に富んだ思考です。もともと龍馬は攘夷派だったため、開国派の勝海舟を斬りに行ったと言われています。ところが、その時に勝から世界情勢や日本の課題を聞いて感銘を受け、その場で弟子入りを志願したのです。仇敵関係にあった後藤象二郎に、自分がまとめた新政府の構想「船中八策」の提案を託したことも、柔軟性を表すエピソードと言えます。
また、他人の視線を気にしないスタンスも龍馬の特徴です。周囲の意見や空気に惑わされてブレることなく、常に自分が抱いた目標に向って突き進んでいきます。中でも、土佐藩の脱藩は最たるもので、藩の後ろ盾のない不安定な社会的立場に身を置くことを厭いませんでした。3大道場として名高い道場の1つで免許皆伝したにも関わらず、師範として剣術の道場を開く道も選びませんでした。自ら作成した大政奉還後の新政府人事案には、自分の名前を入れなかったために周囲を驚かせたとも伝えられています。龍馬の目標は、あくまでも新しい日本へのレールを敷くことで、その先の政に携わりたいわけではなかったのです。

●ヒント2 思い立ったら行動する

龍馬の行動力は、生涯に4万キロ移動という、地球1周半以上に相当する距離が物語っています。諸国を歩いて回り、今で言うキーパーソンたちに次々と会いに出かけます。そんな中で、勝海舟や松平春嶽の他、幕府の臣下で政治の中心的人物だった大久保一翁、思想家として藩政への影響力が強かった横井小楠らとも面会しながら、知識や教養を貪欲に吸収していきました。薩長同盟に向けた話し合いのため下関で設けられた場に西郷隆盛は現れませんでしたが、本人に直接会って欠席の真意を確認したいと、龍馬がはるばる京都まで急きょ出掛けたという有名な話もあります。
龍馬は幼少時代から学問が苦手で、「龍馬は書物を読まない人物である」と書かれた手紙も残っているほどです。ところが、人と意見交換したり指導する機会が次第に増えてきて学びの必要性に気付くや否や、20代半ばになってから突如、読書にふけるようになったと言われています。オランダ語や英語も勉強し、外国語をカタカナ表記した直筆メモも残されています。

●ヒント3 知識と現状から先を読む

龍馬は、人から教わったり書物から得た知識を、蓄積するだけには留めませんでした。そこに当時の社会の状況を加えて、世界の中で日本のあるべき姿を考えていきます。
身分による規制の多かった時代に、出自に関係なく参加できる「亀山社中」を創設したこともその一例です。主君が罰せられて職を失った浪人たちにとって、この組織が新たな経済的基盤となったのは言うまでもありません。利益も平等に配分されていました。
剣術に長けていた龍馬でしたが、こんな逸話があります。「刀は無用の長物。これからは西洋の新しい武器だ。」と言ってピストルを携帯するようになり、やがては、「これからの世の中は武力だけではダメだ。学問を身に付けるべきだ。俺は今この本を読んでいる。」と、懐から書物を取り出して見せたというのです。この書物は、アメリカの法律家が著した「万国公法」という国際法の解説をまとめた一冊で、龍馬はこの本を普及させるために出版する計画も立てていました。


〈相手〉との接し方や協働のヒント

●ヒント4 自分の思いを伝える

龍馬は100通以上もの手紙を書いて、家族や仲間たちに素直な自分の思いを伝えていました。人と向き合って話をする際も、身分が上の人物であれ、自分の意思や希望を臆せず伝えていたと言われています。伝えると相手の意識下にインプットされるため、相手はそれを受けて行動したり情報提供してくれるようになり、何らかの助けが得られるものです。誠意と熱意があれば印象はさらに増し、相手への影響は強まります。龍馬の話に動かされた要人が他の要人を紹介したり、別の場で龍馬の話題を出すことで、龍馬の人脈はいつの間にか広がっていったとも言えます。
相手に伝えるために、自分の気持ちを口にしたり書いたりして言葉化しようとする段階では、頭の中が整頓され再確認ができます。すると、相手への伝え方が次第に洗練されていく効果も得られます。さらに、言葉化は自分の中での決意や覚悟となるため、自らの行動を促すことにも繋がっていくのです。

●ヒント5 議論をしない・無理をしない

「例え議論に勝ったとしても、相手の名誉を奪い、負けた恨みだけが残ってしまう」という考えを龍馬は持っていました。薩長同盟の話し合いでは、薩摩藩にとって長州藩は必要な存在であり逆も然りであると伝えて、両者の心情をなだめます。片方を言い負かせるようなことは避け、双方が納得する方向へと導いていったのです。
「大政奉還」にしても議論を戦わせるのではなく、アイデアの原案を、土佐藩の志士、殿、幕府の重鎮、将軍へと徐々に上申されるような手順を踏みます。直訴してどこかで角が立つような無理はしませんでした。
このように、龍馬は常に、関係者ができるだけ嫌な感情を抱かずに済む方法や手段を目指していました。言い換えるなら、お互いがWIN-WINの関係になることを望み、勝敗のないソフトランディングを心掛けていたのです。

●ヒント6 利害を一致させる・目指す先を示す

龍馬は交渉の場で、お互いの利害を一致させる調整を採りました。例えば、薩長同盟の交渉においては、長州藩が欲していた「武器」を薩摩藩が調達し、薩摩藩が困っていた「米」を長州藩が準備することを提案します。「亀山社中」を藩の組織下に置きたいと接触してきた土佐藩に対しては、不足していた資金援助を条件に出しました。
また、目指す先を示す調整法も行っていました。薩摩藩と長州藩に対しては「メンツにこだわっている場合でない。天下のことを考えるべきではないか」と語り、いろは丸沈没事件(※1)の交渉では、「万国公法」を使います。当時の日本にはまだ海運ルールが途上にあったため、将来日本でも採用されると考えられていた世界基準の法律を提示したのです。

※1 いろは丸沈没事件=紀州藩の船「明光丸」と衝突し、龍馬たち海援隊が運行していた船「いろは丸」が沈没した事件。

以上、6つのヒントには、日々の仕事の参考になるものが多いのではないでしょうか。特に、何かを実現させたい時、成し遂げたい時に、〈自分自身は、どう考え行動したらいいのか〉〈周囲の人に対しては、どう接して巻き込んでいけばいいのか〉、その方法を私たちはここから学ぶことができると言えます。

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